Prologue Act.2
 淡く、それでいて鮮やかな。さまざまな色彩がまだらに描かれ、緩やかに流れる。そんな、
白を基調とした空間があった。そして、星のようにちりばめられた光。それらは、繊細な旋
律を奏でるように交じり合い、色彩という概念すら超越しそうなほどであった。人通りとは
無縁であろう場所。
 そんななか、
「おいおい。確かに居心地は悪くねえけど、これじゃまぶしすぎて眠れねえじゃねえか」
 はきはきとした感じの、男の声が聞こえてくる。そこには、困惑した様子の青年が立っ
ていた。なぜだか旅の装束を身にまとって。
「しかし、くぐりぬけてこいと言ってたな。ってことは、どこかに出口があるのか?」
 きょろきょろと、辺りを見まわす青年。この場には、出口はおろか、空間があるという
以外にはなにもない。彼の周囲の至るところに、虹色にきらめく模様しかないのだ。左右
や前後、上下の方角すら失念してしまいそうなほどに。いや、方向という概念すらない場
所なのかもしれない。
「ふう。とにかく行くとするか」
 やれやれといった表情で頭をかきながら言うと、前へと歩みだす。
 歩けど歩けど、景色はまだらに描かれた模様が、彼の足どりに合わせるようにして移り
変わるのみ。ちりばめられた小さな光は、冷たく射すように煌々と。
 彼は、それでも歩く。なにを思うでもなくひたすらに――。
 やがて、彼の前方から、ぱっと白い光が広がる。疑問を持つよりも先に、彼は、のみこ
まれるようにして消えていった。

「う……ん……」
 青年の意識のひらけた先には、抜けるような空と、青々とした草が広がっていた。彼は、
その場で仰向けに寝転がっていた。
 青年は、徐々に目をひらけると、むくりと上体を起こし、辺りを見わたす。そして、空
を見上げる。
「朝、か……」
 つぶやくような口調でありながらも、どことなくはきはきとした声。
 そのとき、柔らかな風が、ほおをなでるように流れてくる。ときに、彼の身体をすり抜
けていくかのように。そして、祝福するかのように、一斉に踊りだす草。
 青年も、それを合図に、再び空を見上げる。
「それにしても、すっげえ青いな。本当に透きとおりそうというか、鮮やかすぎるという
か……」
 やがて、緩やかな動作で、目線を戻すと、
「それに、草もみずみずしいほどの青で、妙に柔らかい。風も軽いというか、粒子が細か
いみたいだな」
 地面に手を着き、草をなでるようにしながら語る。そして、またもやあおむけに寝ころ
がったかと思えば、
「――ははは」
 妙に明るい笑い声を発する。
「ははっ、あはは……あははははは、はははは…………!」
 さらに、快楽に侵されているように笑う、ひたすらに。まじりけのないほどの、かん高
い声で。
「……っと、そういや、白装束のやつ、どこ行ったんだ?」
 不意に、なにかを思い出したらしく、ぱっと上体を起こす青年。そして、すっと立ちあ
がり、
「とにかく、あいつをさがさないとな。なんにも知らないまま来ちまったし」
 やれやれと言わんばかりの様子で、頭に手をやりながら言う。
「いや、それはいいんだ。ただ…………」
 そして、沈むように目を細める青年。その瞬間、清涼な風が、彼の辺りを吹きぬけてい
った。
 青年は、ひとしきり、行き場をなくしたように視線を泳がせていた。
 不意に、なにかが目についたらしく、そちらへ視点を定める。この場からやや遠くのほ
う、人が住んでいそうな場所があった。
「きっと、あそこにいるんだろな。とにかく、行ってみるか」

 この都の建築物は、飾りけがないながらも、気品を漂わせており、どことなく厳かでさ
えあった。透きとおるように鮮やかな色合いであり、どれほどの技巧であれ、表現しきれ
ないほどである。通路は広々としており、人の姿が見当たらないせいか、軽快なまでの清
涼感が漂っていた。
「うひょー、こりゃまたなんというか、気持ちいいな」
 不意に、軽やかな声が聞こえてくる。旅の装束を身にまとっている青年が、片足をかわ
るがわる弾ませながら進んでいる。このまま飛びたちそうなほどの足どりで。
 やがて、青年が、足をとめると、
「おっと、あそこが本山か」
 彼の目線の先には、ひときわ豪奢な、宮殿のような場所があった。
 宮殿の庭には、鮮やかながらも淡い花々が壇に植えられている。そして、ぽつりぽつり
と、ひとの姿も見うけられる。彼らに共通点はなく、性別や年齢などといった容姿はさま
ざまであった。
 そんななか、柔らかそうな物腰でありながら、どことなく凛とした雰囲気をまとってい
る女性がたたずんでいる。年のころは二十かそこらといったところであり、背格好は、女
性にしてはやや高めである。はでやかな服装ではないが、着こなしには品位さえ感じられ
る。そのなかでもひときわ目だつ特徴は、よく磨かれた鐘のような色の、どことなくなま
めかしさのある髪。
 かの女性のそばに駆け寄ってはなにかを語りかける人々。そして、柔和な笑みで応じる
彼女。この宮殿のあるじ、もしくはそれに近しい存在なのであろう。
「すんませーん、ここはどこの都でしょうかね?」
 と、次にやってきたのは、旅の装束を身にまとっている、かの青年。
「まあ、新しく入ってきた方ですね」
 すると、鈴の音のように涼やかな声で応じる彼女。
「いやあ、俺は、今着たばかりの旅の者なんですけどね。気づいたら流れ着いてたという
かなんというか」
「そうですか」
 やましさはないがどことなく混乱している様子であった彼に、彼女は、なにを思うでも
なく、ただそれだけを言ってほほ笑んでいた。
「ここはひらかれた場所。どこでもご自由に出入りしていただいて構いませんよ」
「ああ、こりゃどうも。それじゃ、なかのほうまで散策させてもらいますよ」
 そして、あらゆる意味で所有者らしくない言葉の彼女に、やはりやましさはない様子で、
にこやかに応じる彼。
 青年は、彼女に見送られるかたちで、宮殿のなかへと足を運んでいった。
 宮殿の内部は、豪奢な外観に加え、上品さや繊細さがひときわ増していた。まばゆいほ
どに白い壁や天井に施されている装飾、絵画や彫像、シャンデリアなど、数々の芸術品が
すべてを引きたてあっている。
 そんななか、旅の装束を着こんだ青年がいた。彼の足どりは、至って軽快である。
「お?」
 と、声を発するやいなや、ぴたりと足をとめる青年。
 その先には、地下へと続く、緩やかに曲折した階段。ほかの場所のきらびやかさとは裏
腹に、奥のほうからは、冷ややかな薄暗さが漂っている。
「どこへ続いてるんだろう」
 青年は、それだけをつぶやくと、その階段へと足を踏みいれていった。

 ここは灰色の空間、らせん状にのびる階段だけが方位の目じるしであった。しかし、こ
の階段すら果てが知れない。
 それとは裏腹に、軽快で律動的な、階段を下りる足音が聞こえてくる。その足音のぬし
は、旅人らしき青年であった。
 青年は、ただただ下りていく。その先に、なにを見すえるでもなく。逆に、視点を彼の
ほうへ向けると、進んでいるのかどうかも定かではなく、彼の足が、階段と同化している
ようでさえあった。
「なっげえなあ、あとどのくらいあるんだ?」
 そして、声を発しながらも、足をとめる様子はない。
 永遠に続いていくとすら思われる領域。このまま歩き続ければ、本当の意味で身がけず
れてしまうだろう。
 キケン――胸に去来する言葉はそれに尽きる。格式のある建物の奥底を探ろうとすれば、
それなりの痛手はさけられないだろう。たとえ許可が下りていても、踏み入らないほうが
懸命だと言われそうなほどである。深くなればなるほど大気すら行き届かなくなりそうだ。
 どこまで続いているのか、その先にはなにがあるのか。もしかすると、終点はないのか
もしれない。手遅れになる前に戻ったほうがよさそうだ。しかし、あまりにも進んでいた
ならば、戻ろうにも戻れない。両者の間でさまようことになるだろう。魂すらも、身体か
ら揺らぎそうなほどに。
「ま、ここまで来ちまったし、確かめにいってみるとするか」
 青年は、この永遠かと思われる階段を、ひたすら下りていく。ただただ前を見すえなが
ら。
 やがて、段差がなくなり、ステップするように着地する青年。
「はあ、やっと終点か」
 さらに、その先には、別の入り口が続いていた。その場からは、なぜか、太陽のような
光が漏れている。青年は、後ろを振り向こうともせず、足を休めようともせずに、そこへ
向かって再び歩きだしていった。

 青年は、なにをおそれるでもなく、光の射す部屋へと入っていく。
 その先には、淡色で微細な光をはなつ、大きさや色合いはさまざまな、クリスタルのよ
うなものが置かれていた。そして、
「――――へっ!?」
 その中心部には、年のころは二十かそこらの女性の姿。女性にしてはやや高めの背格好
であり、よく磨かれた鐘のような色の髪が特徴の。そして――彼女の身体は、棺に埋めら
れているようであり、さらにそれは鎖で固められ、つるされているかたちとなったいる。
「この人……は……」
 祈るように指を組み、眠るようにしている彼女。その光景を、こわばった顔つきで凝視
する青年。そのとき、
「ほう、ここまで来るとはな」
 不意をつくように、青年のの背後から聞こえてきた、高いとも低いともいえない、くぐ
もったような声。すると、即座に振り向く彼。そこにいたのは、
「ああっ、あんた、いきなりいなくなるなよな。さがしちまったじゃねえか」
 全身を白装束で包み、帽子をすっぽりとかぶり、両目までも包帯のようなもので覆って
いる人影。全身の周りにまとっているかすかな光は、この場に置かれている、数々のクリ
スタルと共鳴しているようであった。
「わたしのことはどうだっていい」
「いやいや、よくねえよ」
「それよりも、今はその棺のあるじについて話しておかねばなるまい」
 そう言われると、青年は、はっとした表情で、棺のあるじと呼ばれた彼女のほうへと向
き直る。
「これは……あんたがやったのか……?」
 青年の声自体は明りょうであったが、なにかを抑えこんでいるように、どことなく震え
ている。
「かいつまんで言うと、彼女は、自身の持つ力を抑えるため、自らを閉じこめた。福にも
災いにもなりえるるもので、それが無限大だといっていいほどだからな。わたしは、彼女
のすべてをつかさどる代行人。一枚かんでるという意味では間違いない」
 白装束の者は、淡々とした口調でそう告げる。
「な……んで、だよ。さっきまで庭にいて、俺と話してたばかりじゃねえか……」
「あれは、本来の彼女の力の一部を抽出した姿。実際には一年ほどこのままだ」
 それを聞いた青年は、勢いで、反射的に振り向く。すると、
「――――な……!?」
 白装束の者がふたりいた。いや、もとはひとりであったものが、ふたりに分かれたとい
ったところか。
「彼女を含め、わたしもこういうふうにできてる。別々の場所に同時に存在することなど
造作ない」
 あっけにとられている青年をよそに、同じ声が二重に淡々と響く。
「それに――」
 白装束の者は、その言葉だけを合図に、間を置かずに身をひとり分に戻すやいなや、そ
の場から姿を消した。
「瞬時に移動することなどたやすいことだ」
 と、そのとき、青年の背後から声が聞こえた。それにつられるようにして振り向く彼。
そこにいたのは、見まがうまでもなく白装束の者。そのうえ、どこから取り出したのか、
豪奢でありながらも切れ味のよさそうなつるぎを構えていた。
 青年は振り向いたまま一歩も動かない。時間がとまったかのように。なにも抵抗しない
ままでいると、無事では済まないだろう。帰らぬ人となってしまうかもしれない。
「分かってもらえたか?」
 するりと。構えていたつるぎを下ろしながら、平然とたずねる白装束の者。
「ああ、なんだかよく分からんけど、あんたがただの人間じゃないのは分かった。それと、
少なくとも敵ではないということくらいは」
 ようやく、呪縛が解けたように身を動かし、先ほどの様子とは打って変わってさらりと
した口調で告げる青年。
「そう思ってくれたのならじゅうぶんだ」
 そう言うと、白装束の者は、緩やかな動作で、青年のもとを横ぎる。そして、彼のほう
へ向き直るやいなや、
「そういえば、これはまだ言ってなかったな。生身の人間であると分身することはできず
とも、望む場所へは、念じれば瞬時にゆける。ここはそうい世界だからな」
 と、思い出したように淡々と語りだす。
「てことは、最初から瞬間移動で行けばよかったのか」
 すると、大げさに肩をすくめながら受け答える青年。
「ちなみに、元いた世界に戻るときは、目を閉じて、意識をそこに集中させればよい。逆
に、こちらに来るときも然り。次から扉をくぐってくる必要はない」
「なんだか、夢から目を覚ます要領だな。まさか、ここは夢の世界だ、なんて言わないよ
な?」
「語弊はあるが、意味合いとしては正解だ。むろん、どのように解釈するかは自由だ」
「ま、どっちだっていいけどな。今、俺は、確かに存在してる。それだけでじゅうぶんだ」
 ひとしきり話し、吹っ切れたようにそうしめくくる青年。白装束の者は、それ以上なに
を言うでもなく、ただ視線を泳がせた。
「そういや、彼女と俺のほかにも人がいたが、彼らもあんたが連れてきたのか?」
 青年は、話をつなぐようにというよりも、旧知の間柄であるかのように、なにげない会
話を交わす口調で、新たにたずねる。
「そのとおりだ。こちら側に来る権利があると判断したからな」
「権利か……。その基準はなんなんだ?」
 さらに、素朴な疑問を投げかけるような口調で聞く青年。
「本来ならば、来る者はなんびとたりとも拒まぬ。しかし、肉体を持ちしヒトを招きいれ
るには限界がある。だから、あちら側に降りるたびに、選別をおこなっておる」
 さらりとそう答えられると、
「ってことは、あんたに見つけられた俺は、ひとまず助かったってことなんだよな」
 青年は、指でほおをかきながら言った。
「ううむ……。洗礼の扉をくぐりぬけることさえできねば、ここに来たとしてもいずれ身
を焼かれることとなるからな」
 そして、かみあっているのやらいないのやら、判別のできない会話を繰り広げる白装束
の者。
「洗礼の扉っていうと、最初に俺がくぐりぬけてきたやつだったよなあ」
 青年はというと、そんなことは意に介さないといった様子であいづちを打つ。
 白装束の者は、少しの間、考える様子をのぞかせると、
「貴様は、扉をくぐりぬけてた合間に、なにか思うことはなかったか」
 青年の問いに答えるでもなく、唐突に聞き返した。
「ああ、なんだかきれいだったな。ちょいとまぶしい気はしたけど」
「それだけか?」
「うっ、あとは……きらきらとした感じ。ああもう、俺の語彙だと、これが限界なんだよ」
「そうか」
 頭をぽりぽりとかきながら応答する青年に、それだけを返答する白装束の者。それは、
あきれているふうではなく、むしろ感慨に浸ってさえいるようだ。
「もしも、彼女が眠りから解き放たれるときが来るならば。そして、その要となる者がい
るとするならば。それは貴様なのかもしれぬな」
「へ?」
 珍しく先に口をひらいた相手に、ぽかりとした様子で声を発する青年。当の白装束の者
はというと、そんな彼をよそに、
「このつるぎを授ける。封印を解くための鍵となろう。どのように扱うかは貴様次第だ」
 先ほどから手に持っていたつるぎを、要領を得ない説明とともに、彼の前へ差し出す。
 青年は、なにを考えるでもなく、緩やかな動作でそれを受け取った。それを確認するや
いなや、白装束の者は、どこかへと瞬間的に去ろうとする。
「うおおおおい、またか、またなのか」
 いきなりのことで、その場であたふたとする青年。やがて、白装束の者は、光に包まれ、
風のように去っていった。
「はあ……、まったく……」
 そうつぶやきながら、青年は、不意に、渡されたつるぎのほうへ目をやる。
 そして、つるぎを手に持ったまま、彼女のほうへと向き直る。身動きはまったくしてい
なく、先ほどと変わらない、彼女の姿。
 青年は、そんな彼女から視線を外すそぶりはなく、それは、時間がとまったかのようだ
った。
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