+. Page 006 | 前編:魔女の娘 .+
 世界じゅうの美を集約したとしても及びつかないとされるきらびやかさを誇る、カーナ
ル教団の総本山である大神殿。白くて滑らかな清らかさと、あでやかで光り輝く荘厳さを
兼ね備えた景観。白を基調とした法衣に身を包んだ信徒たちの存在も相まって優雅さを際
だたせる。
 それとは裏腹に、彼らの足どりには落ち着きがなく、表情には一様にかげりがある。ら
んらんとした様子の者もいるが、それはきらきらと輝くといったものではなく、奥底から
煮えたぎったような情動であるといったほうが適切であるぐらいだ。
 要因となるのは、現在、地下にある牢に捕らえられている、ひとりの娘。かつて聖女と
呼ばれた魔女の、そんな彼女の娘。信徒たちからもある種おそれられている、奇妙な美貌
を持った娘。娘の名をセレアという。セレアを火刑に処することが決まったのだ。
 信徒たちのなかでも、取り立ててせわしない心持ちである、彼。高位の階級に属してい
ることを示す法衣に身を包んでいる、二十かそこらの年ごろの彼である。彼は、見たとこ
ろは落ち着いているふうな表情と足どりであるが、隠しきるまでにはいたっていない。そ
う、彼こそが、彼女に最も近しい者。
 彼女が捕らえられているという牢への入り口は、強固な扉で、合わせ鏡のように対称の
奇妙な紋様がえがかれている。彼は、その扉の前までたどり着くと、歩みをとめて、その
図形を眺める。創世の時代の遺物であるとされているが、これをえがくにいたったきっか
けとはなにであろうか、なにかを伝えようとしているのだろうか。そんな疑問が彼の頭の
なかを駆けめぐる。ここ近づこうとする者はあまりおらず、究明をしようとする者もいな
い。彼にしても、牢の番人を任されて以降は毎日まのあたりにしているが、それほど気に
とめてはいなかった。
 この先にいる彼女のもとへと向かおう。そんな意志とは裏腹に、彼の足はとまったまま
である。彼女に告げあぐねているのだ、彼女は一週間ほど後に火刑に処されることになる
のだと。彼には、彼女に伝える義務があるわけではない。取りたてて口どめされているわ
けでもないが。気がかりなのだ、自身の態度によって、おおよそのことは彼女に知られて
しまうのではないかと。
 彼は決して感情が表に出るほうではなく、むしろ、抑制する力に関していうと高い資質
を備えている。大抵の相手には考えをさとらせることはない、少なくともひとりを除いて
は。そう、彼女は、相手のちょっとした動作と数少ない言葉からでも真意を読みとること
ができるほどに直感が働くのだ、少なくとも彼に関していえば。まるで、彼に彼女が対を
なすかのように。
 彼は、息を深く吸いこんで、気持ちを落ち着けようとする。いつまでもここにとどまっ
て考えこんでいてもラチがあかないと判断したのだろう。それに、彼がいつまでも牢の番
に戻らないとなると、彼女に不審に思われるかもしれない。
 意を決した彼は、扉の横の壁にある、くぼんだ箇所を押さえる。そうすることによって
ひらいた扉の、その先に続く通路は暗く、冷たい空気があふれ出している。それを意に介
した様子もなく足を踏み入れる彼。ひたすら歩みを進めていく、彼女が捕らえられている
という、この奥へ。

 地下にある通路の先からは光が射しこんでいるかのように見えるが、実際にはそこが最
奥であり、その場に置かれている電灯が、やっとのことで視界をとらえることのできる程
度の明かりを発しているのだ。
 そんな牢のなかに、彼女がいる。いすに腰をかけた状態でなにかの本を読んでいるよう
だ。暗いなかでかすかに映し出されているだけだというのに、いや、だからだというべき
か、金色に近い茶色の髪は輝いて見え、整った顔立ちは神聖ななにかをうかがわせる。
 やがて、妙に小気味のよい足音が響いてくる。そのぬしは、彼女がいる牢の鉄格子の前
でとまった。それに気がついた彼女は、いすに腰をかけたまま、本を手にしたまま彼を見
あげると、
「あら、ずいぶん疲れてるみたいね」
 理由を問いただそうとするでもなく、ただ感じたままを述べた。
「……ええ、まったく。お上の考えることは、ときに理にかなわないものですから」
 遠まわしに、時間が掛かったのはそういうことだと告げる彼。今の気分は述べたとおり
のものであり、ため息は敢えて隠さない。
「それは大変だったわね」
 彼女は、彼が長い間じゅう留守にしていたことを気にした様子もなく、どこまでも自身
の歩調を貫いていた。牢に捕らえられている者からすれば、時間の感覚などなくなるもの
であるのかもしれないが。
 ふと、彼女が手にしている本に目をやる彼。退屈をしのぐためにと、彼が手渡したもの
である。彼女は、まだ半数の頁も読み終えていないようであった。彼は不思議に思った。
てっきり読みきっているものだと思っていたのだ。
「もしかすると、それを読むのは二回目ですか」
「いいえ、まだ読んでる途中よ。辺りが暗くて視界が限られてるとなると、すぐに目が疲
れてくるから、休み休みといったところね」
 どこまでもゆったりとした調子である彼女。
「今は、主人公に復讐の牙をむいて殺すことにした相手側の話を読み終えたところなの」
 彼は、咳をつくと、
「表紙のわりにはずいぶんと物騒な話ですね。どことなく薄暗い印象は受けますが」
「そうね。だけど……」
 そこで一旦区切って、言葉を選ぶようにしながら、
「もしもそれを実行したとしてもね、その彼が殺人者だとは思えないと思うの」
 いまいち意味が読みかねるといった様子の彼。
「実行犯という意味では免罪の余地はないかもしれないわね。問題なのは、なにが彼をそ
うさせたかで、真犯人なんてものがいるなら、そのなにかなのよ。きっと」
「確かに、人の行いというものは、周囲の者たちや環境に左右されるものではありますね。
だからといって、だれかのせいであるとは言えない。取り立てて言うならば、真犯人は運
命であるということですか」
「その見方もあるんだけどね。もっと別のものだと思うの。実体はないかもしれないけど、
もっと明確な意志をもってるなにか。それは、一見すると安らぎをを感じるものかもしれ
ない。悪意があるかどうかまでは分からないけど、人を操り人形のようにしか思ってなさ
そうななにかね」
「ふむ……さらにそのなにかが発生するにいたったいきさつ、突きつめるとカーナル神に
あるということになりそうですが」
「かも……ね」
 それからというもの、ふたりはなにを語るでもなく見つめあっていた。そうはいっても、
恋人たちのようにロマンチックな雰囲気ではないが。
 彼は、かすかな明かりに映し出された彼女の姿を見ながら思いめぐらせる。彼女は、魔
女と呼ばれている者の娘であり、不道徳の象徴ではあるが、この奇妙な美貌との狭間でだ
れもが揺れていた。そのため、捕らえはしても、処刑の判決が下されるとは思いもよらな
かったことを。上層の決定に異を唱えようとする者はいない。彼とて反対を押しきること
はできない。人というものは、どれほど愛着の持てる存在に出会えたとしても、世間に浸
透した規律の強制力にあらがいきることができずに、徐々にあきらめていくしかないので
あろうか。
 しばらくして、彼女のほうが先に口をひらき、
「そろそろここを出ようと思うの」
 おもむろにそう告げる。言葉の意味をのみこむことができない様子で黙りこむ彼。彼女
は、返答を待たずして続ける。
「母について知るためには、信徒たちにも掛けあってみたほうがいいと思うの」
 彼は、はっとしたように姿勢を整えて、
「どうやって出るというのですか。わたくしも鍵は持たされておりませんし、この受渡口
では人は通れませんよ」
「物事は移り変わるものということで、いつまでもここにいることにはならないでしょう
から、出られる機会をうかがうわ」
 仮に出られたとしても、辺りは敵だらけであり、足場などなく、すぐに命を取られる羽
目になるだろう。もちろん、そのような事実は伏せたまま、
「時がやって来たとしても、それが好機であるとは限りませんよ」
「チャンスっていうのは波がやって来ること、あるいは風が吹くってことでしょう。それ
はもちろん冷たく感じるもので、場合によっては荒れ狂ってることもあって、むしろ危険
な状況かもしれないわね。でも、それに乗らない手はないの。のみこまれないように、し
っかりと準備は整えておかないとね」
 それからまた会話はとまり、見つめあう姿勢となる。どれほどの時間が経っていたのか
は定かでないが、夕げの時刻はまわっているだろう。
「料理人たちから夕食の催促をしてまいります」
 そう言うやいなや、彼は、身を翻して厨房のほうへと向かっていく。
 彼らも調理に集中できていないのかもしれないと、そう予想を立てる彼。彼女の処刑が
決まったとき、彼らはその大会議室にいなかったが、話はすぐさま伝わったことだろう。
それに、彼らが食事を運んできたとして、まごついている様子が彼女に伝わることはさけ
たい。催促するついでに、彼女のもとに食事を運ぶのは、彼が引き受けてこようというわ
けだ。
 牢からの通路を通り抜けたところで、彼はぽつりと、
「あなたは、きっと出られませんよ。セレア……」
 望みを失っているようであり、それでいて願いがこめられているかのような声で言った。
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