+. Page 004 | 前編:魔女の娘 .+
 式典や会議を終えると、信徒たちおのおのが、そして彼も、持ち場へと戻るために足を
運ぶ。
 信徒たちは、どことなく落ち着きがなく、同時に輝いているふうにもうかがえる。この
神殿の、豪奢でいて清らかな造りが、心の揺らぎをも明りょうに映し出すとともに、美し
さを引き出しているともとれる。しかし、その理由は、彼ら自身のだれもが知っていた。
 さて、彼が足を運んだ先にあるものはというと、暗い地下の牢に続く扉である。枠いっ
ぱいに刻まれた、合わせ鏡のように対称となる、奇妙な模様の。慣れた手つきで開閉器を
押すと、鈍い音をたてながらひらく扉。彼は、今から暗闇のなかへ潜っていくとは思えな
いほどに、心なしか軽やかな足どりで進んでいった。
 目的である場所は、牢屋の近くに構えられている宿泊室。そこが自分の部屋であるかの
ような、自然な動作で入っていく彼。高位の神官であることをあらわす法衣に身を包んだ、
そんな彼の持ち場は、牢番である。
 そう、そこに捕らえられている者の存在、それこそが、教団のなかで流れている空気の
もとなのだ。魔女と呼ばれている者の娘。行方知れずとなった魔女の代わりとして捕らえ
られた彼女。彼女は、だれもが振り向くほどの美貌の持ち主である。そして、
「ねえ、牢番さーん」
 ふたりの対話は、彼女の、はずんだような呼びかけから始まる。
 すると、彼は、これをあらかじめ想定していたかのように自然な動作で、この薄暗い部
屋を後にする。彼の机の上に置かれた、携帯用の電灯が映し出している近くには、積みあ
げられた本があった。聖書から物語まで多種多様に。手の空いた時間を埋めるために持ち
だしたものであったのだろうが、無為であったようだ。
「はい、なんでございましょう?」
 十秒と経たない間に、彼女が捕らえられている牢の前へやってきて、慣れたような口ぶ
りで問いかける彼。
「食事はまだかしら。そろそろおなかがすいてきたわ」
「まだ召し上がっておられなかったのですか」
 どことなくかしこまった、それでいておどけたような、彼と彼女のいつものやりとり。
「係の者に言いつけてまいりますので、しばらくお待ちください」
 彼は、それだけを告げると、割りにがっちりした体つきとは裏腹に、身軽さを思わせる
足どりで向かっていく。
 彼が行ったかと思いきや、すぐさま戻ってきて、
「待っている合間は、どうぞこれでも読んでいてください。お気に召すかどうかは分かり
ませんが」
 鉄格子の隙間から、なにかの物語と思しき本を彼女にわたす。
「まあ。薄暗い感じはするけど、清らかな華美さのある絵の表紙ね。きっとおもしろいわ。
ありがとう」
 とらわれの身である彼女に礼を述べられたことに居心地の悪さを感じたのか、息を長く
つく彼。そして、今度こそ表へと向かっていった。
 それからというもの、彼が、彼女にあてがうための料理を持って戻ってきたのは、一時
間ほど経ってからだった。
「あら、おかえり」
 彼女は、待たされたことによって機嫌を損ねたわけでもなく、彼の身を案じて心を悩ま
せていたわけでもなく、ようやく帰ってきたかというような、自然な流れで迎える。
「お待たせいたしました」
 そう言って、牢に取り付けられている受取口から、運んできたものを差し出す彼。
「わあ、今日は豪華な品目なのね。いただきます」
 そう言うやいなや、彼女は、飛びつかんばかりの動作で、料理を口に運ぶ。
「豪華なだけじゃなくて、味もいいわ。ふふ。身のまわりのことを人に申しつけてしても
らうのも案外いいものね。……はっ、いけないいけない。これは、わたしを堕落へと導い
て、無力な女へ変える作戦なのね。そうはいきませんわ」
 そして、舞台の上に立つ役者のような動作と口調で演出してみせる彼女。
 まったく。とらわれの身であるうえに、敵の想定までしておいて、どうしてこうも楽し
そうにできるのだろう。そう言いたげな彼であるが、敢えて口にせず、彼女を眺めている。
 彼女は、そうだったかと思いきや、再び料理を口に運ぶ。
「そんなことをするぐらいなら、刑の判決がくだるまで待ちますよ。それよりも、目の前
にあるものを疑ったほうがよろしいかと」
 なにをだと言いたげに、料理を口のなかに入れたまま、彼に目を向ける彼女。
「たとえば、わたくしのことなど。それと、あなたが口にしているもののなかに毒が入っ
てるかもしれないでしょう」
 彼女は、口のなかのものを飲みこむと、
「これでも、人を見る目は厳しいほうよ。そんななかでも、あなたには、家族以上に信頼
がおけると思ったわ。それに、料理に毒を盛るぐらいなら、それこそ刑の判決がくだるま
で待ったほうが、とらわれの女を殺したという嫌疑をかけられなくて済むわよ。毒殺しよ
うとしたのなら、ここまで味つけにこだわることもしないでしょうし」
 にんまりとした面持ちでそう述べる。
「それは光栄です。しかし、料理に毒が盛られていたとなると、先に疑われるのは料理人
のほうでしょう」
 彼も、どこまでも涼しげな面持ちで、負けじと応じた。
「確かに、どう取っても疑われるのはあなたってことになるわね。この料理をしたのだっ
てあなたでしょうから」
 そう指摘された彼の表情は、目を凝らしていないと分からないほどであったが、確かに
驚きのものへと変わっていった。肯定したものと受け取っていいだろう。
「品目や味が変わってるだけでなく、あなた自身が一時間ほど戻ってこなかったから、そ
うじゃないかと思ってたの」
「……ええ。あなたに料理をわたす担当の者が休暇をとっていたらしく、さらに料理人た
ちも既にいなかったのでつい」
「思わずでこれだけのものを作れるのなら、牢番より料理人のほうがいいんじゃないかし
ら」
「あのですね……。そもそも、わたくし以外のだれに、あなたの相手が務まるというので
す?」
「それもそうね。ほかの人たちだと、用事を済ませたらすぐ逃げるように行ってしまうも
の」
 かく言う彼女は、どこまでも楽しげである。
 ひとしきり話し終えると、さらに料理を口に運びだす彼女。魔物のように美しい彼女が、
目を細めて料理をかみしめている。幸せそうだというのはこのことであると思わせるほど
に。
 そんな彼女を眺めながら、彼は、なるほどなと思う。彼女を自由にするでもなく、処刑
するでもないわけだと。
 この教団の性格からして、かの魔女の血が流れているというだけで脅威であるのだと、
即座にそう判断するだろう。すべからく刑に処するべきだと。それなのに、今もこうして
彼女をとらえているだけで生かしているのは、彼女をおそれたからだといえばそうである
だろうが、魔女のたたりを想定していたわけではなく、この彼女に魅入られたからなのだ
ろうと。そういう意味では魔女の術か。
 そう、彼らは、彼女の危険な色香にとらわれていたのだ。害悪だ今すぐ殺せという声と、
このきらびやかさをなくすのはおしいいう声の狭間に揺れながら。そんな彼女を支配下に
おいているのだという優越に浸るためだという理由もあるのだろう。
 そういえばと彼は思いかえす。彼女をおそれて自ら近づこうとしない者は少なくないが、
どうにか近づこうと画策している者たちもいる。その早道というのが、牢の番を仰せられ
た彼を介するというもの。彼女に会わせてほしいとたのんでくる者たちがいたのだが、彼
は困ったように笑うなり、なにを答えるでもなく、自然と流れるようにその場を去ったも
のだった。
 実質ふたりだけのこの世界。そう長くは続かないだろうという予見を渦まかせながら、
彼は、いつまでとなく、光の射さない天井を見あげていた。
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