+. Page 002 | 前編:魔女の娘 .+
 会議を終えた後であっても、信徒たちが落ち着きをとり戻すことはなかった。表立って
騒然としているわけではないが、あまりにも突然だったためか、反応に困っているといっ
たふうである。
 かつて、聖女と呼ばれていたが、かの悪行以来、魔女と呼ばれるようになった女がいた。
教団に所属する、特殊な能力を持つ者たちのなかでも特に絶大とされていた。今しがた、
そんな彼女の娘、セレアを捕らえ、この神殿の地下にある牢に閉じこめているという事実。
 ときに、教皇の座する間は、神殿のなかでも際立ってきらびやかさを誇る。それでいて、
はでやかであるというよりは、気品を感じさせる。優美な装飾の、清らかな調律。それら
によって際だつ、最高位に君臨する者の威光。
 その場には、恭しく頭を深く下げる信徒の姿がひとり。彼も、高位の階級に属している
ことを示す身なりであるが、年ごろは二十かそこらであるようだ。
「そなたを呼んだのはほかでもない、先ごろ捕らえた、魔女の娘についてだ」
 そんななか、当然であると言わんばかりに、威厳を含ませて告げる教皇。
「……はい」
「そなたに、彼女を捕らえている牢の番を命ずる」
 そして、当然辞退などしないだろうことを前提に放言した。
 しかし、まさか、ただそれだけの用件で呼びつけたわけではないのだろう。
「番……でございますか?」
「彼女の身辺の世話も兼ねたものだ。不自由なく過ごしてもらうためのな」
 聞いたところ、緊急性はなさそうである。しかし、教皇の表情は飽くまでいかめしく、
それでいて、目には、野卑に強く光るものがうかがえる。
「……かしこまりました。謹んでお受けいたします」

 謁見の間をあとにして、命じられた任に就くための場所へ向かいながら、彼は思考をめ
ぐらせていた。
 捕らえられた彼女が、魔女の娘であるという裏づけはされているとのことだ。ならば、
なぜ処刑するわけでもなく生かすのだろうか。脅威となる、またはそれに近しいものは排
除するという方針にかたよっている、この教団が? 待遇も良すぎるぐらいだ。不自由な
く過ごせるようにと、身辺の世話をする者までよこすとは。牢に閉じこめられているのだ
から、自由もなにもないだろうという問題は置いておくとして……。
 もしかすると、報復をおそれ、処しようにもできないのだろうか。まさか。あのような
力は遺伝するものではない、本人の素質によってしか発現しないものであるはずだ。魔女
の娘といえど、ただの娘でしかない。では、かの悪行は飽くまで魔女の仕業であって、娘
のほうには罪はないという倫理に基づいてのことであろうか。いや、それならば、なぜ捕
らえるに至ったのだろう。
 ……振り出しに戻ってしまった。これ以上は考えてもラチがあかない。教皇たちの隠さ
れた真意を知るために、ひとまずその場に向かうのだ。この任に手向かうことなく引き受
けた理由もそこにあった。
 やがて、彼は、目的である場所に通じる、扉の前へとたどり着く。枠いっぱいに紋様が
刻まれている、強固そうな扉。奇妙な図のかたちであるが、合わせ鏡のように対称となる
よう描かれている。創世の頃から継がれてきたものであるといわれているが、これが意味
するところの究明をしようとする者はいないようだ。
 彼も、特に気に留めたふうでもなく、扉の横の、壁のくぼんでいる箇所を、てのひらで
押す。すると、扉は、うなるようにこすれる音をたてながら、仕掛けを作動させてひらい
ていった。

 神殿の地下はひどく暗い。そして、さびれているふうであった。表のきらびやかさとは
まるで逆であり、光が強ければ強いほどますます影も濃くなるという理屈を反映している
かのようである。辺りを照らすものといえば、赤くはあるがおぼろげな明かりの電灯のみ
である。それも、設置されている間隔が広いものだからほとんど用を成していない。
 牢に続くこの通り道は、ひとりが歩くだけでも、刃物をとぐような鋭い音がする。どこ
となく気品のある、ともすれば忍び足といっても差し支えのない彼の歩みであれ、その響
きを消すことができないほどである。
 空気の感覚は赤くさびたという表現がふさわしくある。それは、五感にまで伝わってき
そうなほどに濃密な。
 やがて、光がさしている場所に差しかかってくる。出口であるように思えるが、その逆
である。彼女が捕らえられているという牢の付近を、電灯が照らしだしているのだ。
 魔女の娘である彼女。いったいどのような者であるというのか。
 彼女と顔を合わせるときが近づいてきても、彼は飽くまで真顔である。足どりが乱れる
こともない。
 彼がようやく彼女と対面する距離まで近づいたときのことだった。彼は、先ほどまでの
表情から一変して目を丸くした。一見しただけでは特に変わったふうでもないが、彼の様
子にしては大きな変化であるといえる。
 彼の目に、彼女は、この牢獄はおろか、この世に生きているとは思えないほどに美しい
者として映っていた。この場所が暗さとさびしさに覆われていることを忘れさせるほどに。
 彼女の、落ち着いた様子でたたずんでいる姿は、さらに華美さを際だたせているようで
ある。滑らかな肌に、くっきりとした眉と、知性をうかがわせる目元。きわめつけには高
めの鼻が、鋭敏な優雅さを醸し出している。それでいて、柔らかそうな口元と、緩やかな
ウェーブのかかった、金色に近い茶の髪が、穏やかさを引きだしており、絶妙な均衡のも
とにあった。
 しかし、彼女のそれは、内面からにじみ出た要素のほうが大きいようである。彼も、そ
のことは本能で感じとっているようであり、まるで魂が共鳴しているかのように、ただ立
ちつくしたまま、ぼう然と彼女に見入っていた。
 ときにこの彼、当然ではあるが、背たけや体つきは彼女よりも大きく、ましてやうりふ
たつの顔ぼうというわけではない。
 しかし、雰囲気という点では相通ずるものがある。同じであるといってもかまわないほ
どだ。彼とて、うれいを帯びている影響か、無表情なようではあるが、沈みこんだ気持ち
でいるわけでもなく、機嫌が悪いというわけでもない。物腰は柔らかいほうであり、顔つ
き自体は、人好きのする性質だといえる。
 ときに、彼女の年のころも、見たところ二十歳前後、彼よりやや年下である程度だ。
 鉄格子を挟んで立っているふたりの姿は、互いに鏡を見ているかのようである。それだ
けに、触れ合うことさえ永遠にかなわないと思わせる冷厳さも存在していた。
 彼と彼女は、どちらとも、姿勢を崩す様子どころか気配がなく、時間がとまったかのよ
うに、しばらくそうしていた。
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