+. Page 109 | 雨降る夜の亡霊 .+
とある指揮者の語り 10 

 星には年じゅう氷に覆われる期間というものがありまして、氷河期なんていわれていま
すね。
 傷をいやすための冬眠の状態ではありますが、この氷はどこから来たものなのかという
問題を忘れてはいけません。
 そう、冷気であると同時に霊気であり、歴代の生命たち、おもに赤子から奪い取ったも
のでもあります。

「幾多の肉体で霊を捕獲したんだけど、そいつらの気分を操作して肉体ごと動かして、そ
いつら同士で争わせたり、いちゃいちゃさせたりして子を作らせて、それによって気を搾
り取って欠乏感を与えたら、そいつらに傷つけられちゃったから、そいつらの霊気を行使
して傷をいやす権利はあるよね。そいつらの命や生態系に異常が発して、その結果として
苦しんでもおかまいなしで」

 星の心境としてはこのようなところでしょう。被害者づらとはまさにこのことです。
 そのうえ、そうした悪念に気がつかずに、かわいそうと思って修復を手伝う思念体まで
も存在するのです。
 星自身が赤子の霊気をまとっているため、かわいいふうに見えるからだというのも大き
な一因でしょう。
 かわいいというのは、かわいそうだというところから来ているのだということが分かり
ます。
 氷河期という、訓読みだと「かわ」である河の字の入った語句が定着した理由も案外そ
こにありそうです。
 ひょうがきということで、ガキという音が子どもを連想する響きとして残ったという説
も考えられますが。
 そもそも、その氷が赤子の思念体で形成されたものであるため、善悪の区別がつかない
どころか、自分たちをさらった張本人であることすら分からないのでしょう。
 あまつさえ、自分たちを保護してくれた存在だと思いこみ、自分たちのママであるとさ
え思っており、言うことを聞く対象であることを疑っていません。

 目的はなにも修復するだけではなく、星自身が取りこんだものを隠すためでもあります。
端的にいますと、それは数多の恐竜です。
 隕石が落ちたことによって環境が激変し、恐竜たちは適応できずに絶滅したという説で
知られているでしょう。
 これほどの規模となりますと、隕石どころの話ではないことはじゅうぶん考えられます
し、恐竜にまつわることで宇宙にとって都合の悪いことを隠蔽するために起こったことで
もありますから。
 そのことについてはのちのち語るとしまして、そうした案件を星が受け入れた理由は自
身にとっても利点があったからです。
 滅亡させることによって、自身のなかに恐竜を封印し、その力を自分のものにしてしま
おうというわけです。
 もともと取るに足らない存在であった星の繁栄は、その力なくしては成し得なかったの
ですから。
 恐竜は龍でもありまして、地中での気の流れを龍脈と呼ぶようになったゆえんでもあり
ます。
 また、粒子のリュウとなったことも相まって、同じく水分からなる霊気が呼応して吸い
寄せられやすくなったというわけでもあります。
 ちなみに、大気中にある生命たちの霊気は精霊やら妖精やらといったものと化し、星は
その力がなければ自然の猛威とやらを振るうことすらままなりません。
 この状態が長年にわたっているわけは、思念体――宇宙規模のことなので想念体でしょ
うか。単純に彼らが、宇宙の意思に逆らえずにいるということは考えられますが根本の理
由は違います。
 その星の辺りに粘着質な防壁が張られ、近づくこともできず、近づけたとしても捕らえ
られてしまうことが考えられます。なめくじの持つ粘膜だととらえてもらうと分かりやす
いかと思います。
 ただし、そうした想念体にとっても、その膜がない場合の不利益というものはあります。
 かいつまんで説明いたしますと、その星のほうへ、とてつもない引力によって吸いこま
れ、身動きがとれなくなるからです。
 ブラックホールも到底かなわないほどの力の発生だったのでしょう。そうでなければ、
そこまで過剰な防衛などしないでしょうから。
 それほどまでの引力だということは、発生源は強い意志を持った生命体であると考える
ほうが自然でしょう。重力のおもな原因ととらえても間違いありません。
 こうして、神霊とやらによる「間違い」をきっかけに生じた宇宙のなかでは、追随する
かたちで「欺き」が起きたことによって地獄の星が形成されました。

 話は戻りますが、星への衝突の様相は核崩壊という概念と同じなのです。
 そのため、その星の周辺にもエネルギーが飛び交い、その恩恵は口止め料のようなはた
らきもあるのでしょう。
 さらに悪いことに、長きにわたって生命たちの心の奥底には、恐竜たちに対するあわれ
みが染みついているため、彼らの力を媒介にして現世という地獄が作られたなどとは思い
当たりにくいのです。
 たとえ大昔のことであって記憶にないとしても、一度でも起こったことは意識の深いと
ころには刻みこまれているものなのです。
 龍の力を使役するだけしておいて、いざ支配しているものの正体に気づかれそうになっ
たときの矛先にもしようという魂胆もありますから。
 そして、正義感は強くとも判断する力が弱い思念体に、人でなしとして攻撃させて自動
的に始末させようという思惑が見て取れます。

 それから、気が遠くなるほどの年月が経過した頃、人類の手によって飛行機というもの
が開発されました。
 人を乗せて空中で移動することが可能な代物なのですが、操縦する人が必要不可欠であ
ることは言うまでもないでしょう。
 もちろん、操縦者にも感情や気分の浮き沈みもあります。
 そう、墜落事故というものは、彼らが星に気分を操作されたり、意識を朦朧とさせられ
たりすることによって起こる場合がほとんどです。
 朦朧は夢うつつと言い換えることができまして、常に夢をかき集めている星にとっては
造作もないことです。
 乗り物は風力と密接な関係にあり、辺りを漂う思念体ともつながりやすいことが拍車を
掛けたのだと思います。
 目的は搭乗者たちの恐怖や嘆きといった感情を利用して思いどおりの世界を作る、もっ
といえば作らせることにあったのでしょう。
 それらの感情は、ほかのどれよりも強いものであり、それが数百人分も集まればなおさ
らでしょう。
 これらは、宇宙が星に隕石を落とした話の縮図であるといえます。
 恐竜が絶滅した際、鳥が生き残った理由は、星がそのように取り計らったからです。宇
宙の視点から見れば自身も鳥であるという誇りと同時に、子分として使えると考えたから
なのでしょう。

 もうひとつ例を挙げますと、バッタが大量に発生したことによる農作物への被害、おも
に水稲によるものが顕著であることです。
 ワタリバッタといいまして、作物を食べ荒らしたのち、次の獲物を求めて集団で移動す
る性質があります。
 ここでお気づきだと思いますが、彼らも星によって動かされてのことです。
 そうでなければ、整然と群れを成して動いたり、正確に目標の作物を定めて狙ったりす
ることは考えづらいですから。
 土地の神がおこっていると思わせることで祈りをささげさせ、霊気を奪おうという魂胆
でしょう。
 被害が続くと飢餓に陥るおそれがあります。キガを逆さにするとガキとなり、星に通じ
るものがありますね。
 飢饉の場合はキキンであり、基金ともなることを考えると、星の思惑が透けて見えると
いうものです。
 さて、そうしたバッタの種類はイナゴであることが多いです。稲からできたものを食べ
るから稲子という名前がつきました。
 稲といえばイナンナが連想されることと存じますが、まさに星の意思を神格化したもの
なのです。またの名をイシュタルといい、愛や美と同時に戦争、そして豊穣をつかさどる
とされています。
 ちなみに、イナンナを象徴するもののひとつにアカシア、またの名をアカシャというも
のがあります。
 アカですね、ああはいはい……。

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