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とある指揮者の語り 08 

 家族とはなにか。星が、生命たちから霊気を吸い取るための、もっとも基本的な仕組み
なのです。
 核家族なんていう言葉もございますが、俯瞰的な視点から見てみますと、家庭というも
のは原子核そのものなのです。そして世界は原子炉のようなはたらきをしています。
 生命たちの霊気は、けんかをしても仲良くしても熱気として放出されます。そのありさ
まというのが、おなかが減ったりのどが渇いたりといったものです。老化の現象というの
もそうですね。
 この状態が、中性子をぶつけることによって起こった核分裂に相当する事柄であり、魔
が差したというものなのでしょう。
 なにもしなくとも熱量は消費されていきますが、動くと特に早まります。世界は動物の
要素によって支配されているため「動」というのが肝要なのでしょう。
 そうして、働かないと食べていけない、食べなければ死んでしまうという恐怖の植えつ
けが圧力というわけです。結局は死ぬまで踊らされ続けるということになります。踊らさ
れているというより、おどされているといったほうが適切でしょうか。
 動の字を分解すると重力になるのですが、これが加圧のはたらきをしていますね。

 風圧という言葉もございまして、文字どおり風が圧力となり、生命たちの営みに働きか
けていると言えます。霊気を移し変える媒体でもあるわけです。
 風邪が移ることと同義であると考えると分かりやすいかと存じます。風潮や風情、風味
などといった言葉もございますし。ちなみにそこに異を唱えることを風刺といいます。
 正確には、場を漂う思念体であり、風はその流れによって発生したものなのです。幽霊
と言ったほうが分かりやすいでしょうか、多少の語弊はありますが。
 死後すぐに行く世界に幽界というものがあるのですが、これこそがまさにそうした思念
体の集積体なのです。
 死したのちの霊魂から霊気を奪い、さらにほかの霊魂を捕獲するための仕組みです。手
当たり次第に奪ったとすれば、そのなかになにか気を引くものがあるに違いありません。
 幽界はゆうかいと読むのですが、まさに誘拐といえるでしょう。もしくは融解してばら肉
のようにばらばらにするとか。
 ゆうとは糸を結うという意味もあり、もしくは憂いのゆうであり、うれいで売れという命
令が込められているのでしょう。界は買いで、売買ということになりますね。手放すことを
意味する「さようなら」をばいばいというゆえんはそこにありそうです。
 ひとまず、蝶を捕獲するために張りめぐらされた蜘蛛の巣だという理解で問題ありません。
伝承などでしばしば蜘蛛が語られているのも偶然ではないのでしょう。
 もしくは納豆のようにねばねばと引いている糸であり、豆は捕縛された霊魂だととらえる
ことができます。納める豆とはよくいったものです。ねばねばした状態であり、ネバーラン
ドとはこのことであるといえるでしょう。
 そう、ある種の血塊であり、本当の意味での結界とはこれのことなのです。
 ちなみに、幽界の別名を幽世と書いてかくりよと読むのですが、なるほど隔離よですね。
隠り世という字に置き換えられているそうですが。幽閉という言葉もここから定着したので
しょう。

 霊魂といえば、レンコンという音に似ておりますが、虫食いのような状態にされていると
いう意味では案外そのとおりかもしれません。風という字のなかは虫であることですし。
 そればかりか、霊魂という実を取られすぎて、それを包んでいた魂魄だけの状態ですらあ
るでしょう。魂魄のほうは、ウインナーの皮と考えると分かりやすいかと存じます。
 事実、生きとし生けるものの霊魂はウインナーのようにねじられて吊るされ、現世に降ろ
されている下の部分しか認識できなくされています。しかもだいぶゆがめられたところの一
部分なのです。
 それで、この穴があるということは、なんでも入れこむことができるということであり、
洗脳も施し放題というわけなのです。
 魂の本体とも分断され、霊気を奪われたことで判断力をも鈍らされた生命たちは集団で洗
脳を施され、意図しないところで現世で地獄を作らされたのです。鈍るからニブルヘイムと
いうわけですか。
 悪意とは、この空く意のことであり、満たされない心に忍びこむものなのです。
 ところで、あとになってなぜこのようなことをしたか、もしくはなぜ言ったか分からない
といったことはなかったでしょうか。それこそがまさにこの状態なのです。
 あのときはどうかしていたとよくいいますよね。まさに同化していたということでもあり
ます。

 眠っているときに見る夢というのも、そういった絡繰りなのです。
 意識が朦朧としているところに気を流しこむといったところです。
 分かりやすいところで言いますと、とある人物が夢に出てきたとして、よしあしにつけて
も気になりはするでしょう。
 嫌いなはずなのに気がついたら一緒にいたですとか、逆に好きなはずなのに気が変わって
離れていたですとか。そうした現象は、その吹きかけられた気によって動かされた結果なの
です。
 したくもないことをしているというのも、まさにそこに要因があるわけですね。
 そして、スターやトップの座というのも、そうしたものの集積によってできあがっている
わけです。
 スターの座と書いて星座というものもありますよね。生命たちが眠る時間帯とされている
のは夜でありますし。
 本当の意味での催眠誘導とはこのことだったのです。

 もうひとつ具体的な話をしますと、春の陽気に当てられて不審な行動が増えるというのも
そうでしょう。
 春になると風が多くなる傾向にあるのも、そのような動きをさせて結界をはっているから
だといえます。
 そういえば、結界を構成することを「はる」と言いますね。なるほど、世界のはじまりと
いうようなものを表しているというわけですか。
 春の次に来る夏はその盛況を表し、秋は飽きが来ていることをいっているのでしょう。夏
に騒いで消耗したということでもあり、空きのことでもありますから、このままですと世界
の秘密が流れこむこととなります。だから冬に氷で固め、暴風でさらって紛らわそうという
わけですね。
 そうして白紙に戻してガス抜きをして、ほとぼりが冷めた頃にまた結界を張り、霊気を消
耗させて収穫することを繰り返しているのでしょう。

 春といえば花見であり、桜の木の下で宴会することを指しますね。
 また、桜の木の下には死体が埋まっているともいいます。
 そう、ここでの食事とは、もとはその死体のまとっていた霊気を食べているということな
のです。
 死体は栄養分となるため、根元に埋めさせるように誘導したといったところでしょう。
 花のかおりを発せられるならば、気分を操るなど造作もないことでしょうから。
 もしくは、自然の驚異とやらをあおったか、長い年月をかけて植えこまれた崇拝や感謝の
心などといったものを引き起こさせたか。

 山で食べる弁当がおいしいというのも同じ事情です。山は長年にもわたって生命たちの霊
気を溜めこんできたことで肥大したものですから。木だらけであることからも明白でしょう。
 ちなみに、霊気の強い存在が山に入ると、その霊気が吸収されて疲れるかと存じます。
 山がものすごい力を持ったものとして崇拝されるようになった背景にはそうした事情があ
るのでしょう。それによってさらに力を得ただけという、偽りの覇者……。
 崇拝の心を忘れるといかり、再び気にさせる、言い換えるなら気を向かわせるという、盗
人猛々しいとはこのことですね。

 これは、海についても同様のことがいえます。というよりも、こちらのほうが程度は甚だ
しいです。
 ここまで語った風というのはあくまで実行犯であって、真犯人といえるのはその風に含ま
れた粒子なのですから。粒は「流」であって龍というわけでもあります。
 この辺りの詳しい話はまた後ほどといたしましょう。

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