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とある指揮者の語り 04 

 さて、ここで男と女の話、言わば愛に続いて恋についてのこととなりますね。
 肉体ではなく精神の構造の違いについて、簡単に言いますと、男は星であり、女は月
であるのです。
 花形を意味するスターというのも、おもに男性を指すときに言うでしょう。月は言う
までもなく女性の印象が強いですね。
 月といえば、海と親和性があり、同じく女性のことを指します。川が男性となります。
こちらについてはティアマトとアプスーについても語ったとおりでございます。
 また、女性を大地だとすると、男性は木ということになります。
 もっと簡単に言い表しますと、プリンスとプリンセス、つまり王子と姫ですね。
 プリンといえば、おもに卵を使って作るお菓子でしたか。

 なぜにこのように目に見えそうなかたちで男女の差があるかといいますと、そうでな
ければ暴力が発生しない、つまり熱気がなくなるからです。
 熱気がないということは、精力が放出されないということであり、星が生命たちの力
の源を吸えないということでもあるからです。
 劣等感をあおるかたちで動かしているのかといいますと、それは補助の役割にすぎな
いのです。
 原動力となる要因は、閻魔のような王といった男性性が、イヴことガイアという母な
るものによって据えられたというところにあります。その負い目というものが、雄とい
うあらゆる生物の意識の奥深くに大きな楔となってささっているのでしょう。
 イヴは、自身の子に相当する王に対しても、おまえはいらない子だといったような呪
詛をかけたはずです。かつて自身が、親である神から受けた扱いと同じように。役に立
たないと捨てられるどころか消されるといった強迫観念も楔となっているでしょう。
 だから雄たちは、雌たちの生命力を持ってこいという命令に抗うことができず、まさ
に恐慌によって動かされているのです。
 誕生といった、現世に出るまでの儀式。つまり肉体的なことがらは雄から雌へわたす
ことによって行われますが、現世から宇宙や死後の世界へ流れる精神的なことがらは、
雌から雄を介してやりとりされます。
 童貞が悪であるとされている所以はそこにあったのです。魂の光を奪うための媒体を
作らないばかりか、雌の霊気を持って来なかった、だから使いものにならないといった、
当人たちの顕在意識すら気がついていない強迫観念の仕業です。
 雄で、性交ののちに死す生物が存在する理由でもあります。雌の霊気をすぐさまあの
世に持って行くということなのです。絶頂に達したことを「逝く」とはよく言ったもの
です。
 ちなみに、戦死者を栄誉あるものと称し、生還者を罵るという現象の原因も、そこに
あるといえます。
 戦によって熱気を放出させたことに加え、幾多の女性を虐げたことによって、星ひい
ては宇宙の輝きのために身を粉にしたことを称えているのでしょう。栄誉あるものとは、
栄養あるものという響きからなったのですね。芋女とは言っても芋男とは言わない理由
でもありますね。
 米と同じく、でんぷんを含んだもの。確か、こちらも牛肉に次ぐ、カレーの材料でし
たか。豚肉を入れる場合もあり、いも豚という品種もありますね。

 豚女という言葉も同じような成り立ちなのでしょう。
 家という字は、うかんむりに豚というものであり、家畜であるといったところからな
りたったものです。
 ちなみに、牢という字は牛が入っており、こちらはいけにえという意味がございます。
 豚であれ牛であれ、意味合いとしては同じということであります。
 そうでありますから、牢屋という、家屋を意味する語が付いたのでしょう。
 屋敷といえばアラヤシキ、阿頼耶識のことでもありますね。
 阿頼耶識とは、顕在意識と潜在意識をつなぐものであり、神話や伝承などでは木とし
て表されていることもありますね。この世とあの世といってもいいでしょう。
 ただ、この仕組みはは人工的に作られたものです。
 極論を申し上げますと、本当の意味で自然のものなど存在しません。しかしながら、
これの場合は特に作為的であるといえます。
 たとえば、インターネットというものが人工的な集合的無意識だとすれば、阿頼耶識
はその回線のなかに相当します。
 考えかたによっては、阿頼耶識はそのネットの情報を引き出せるものであり、法則性
にとらわれない混沌であるといえます。混とんのトンとは案外、豚を意味しているのか
もしれませんね。
 ある種の酒池肉林であるともいえますね。
 蒸留酒のことをスピリッツ酒というのですが、このスピリッツというのは精神を意味
しており、生命力とも言い換えることができます。
 アルコール消毒というのも、とらえかたによっては血を吸うということとなりますね。
 猫が乗った樽に入っている酒は上質であるといういわれ、これは樽が木であると同時
に阿頼耶識であることを示し、猫は木のねっこを指していることからきているのでしょ
う。
 まねき猫というものは、栄養分が来るよう、待ち構えているところから連想されたの
でしょう。
 ネコ科となりますとトラがおり、変性意識状態のことをいうトランスでもあるという
ことです。
 ねっこといいますと、根に住むものと書いて根住み、すなわちねずみがおります。
 ねずみの一種にはハムスターというものがおり、ハムのスターで豚肉の星ということ
になります。
 それに、ハムが幾枚にも重なっているさまは、次元や幽世の構造に似ております。そ
れこそ生命たちの霊力、魂の力から形成していることの表れです。
 ハムは公という字でもあり、おおやけと読み、大焼けや大妬け、大自棄などという意
味も込められているのでしょう。まさに命の炎を燃やさせて、霊気を出させようとして
いるさまを表していますね。
 なにげない掛け声であるイエイというもの、これは家にいろということであり、阿頼
耶識にとらわれる栄養分となれという意味であって、一種の催眠術なのです。
 ちなみに、ウォーウォーウォーだと戦争のウォーとなり、命を燃やせということにな
ります。
 もうひとつ、家という字には「国」という意味もあります。
 国という命綱が崩壊すると、力を供給する媒介がなくなることを意味し、星も滅びに
向かいます。
 国が崩壊しそうになると、生命たちに恋をさせるどころではなくなり、今度は男と女
の対立をあおごうとします。争わせることで力を放出させるためという理由もあります
が、こちらはおまけ程度のことで、本当の目的は、星やら宇宙やらといった黒幕に目を
向けさせないようにするためです。
 だれのおかげで家に住めていると思っているのだ、などと言っている男のさまなどが
目に浮かぶようですね。
 だれのおかげで生かされていると思っているのだ、などと言う星そのものですね。
 魂の光を誘拐した挙句、肉体の檻に閉じこめ、その摂理に抗えば生きていけないよう
にしたうえ、さらに精力を搾取しているにもかかわらず、あまつさえ恩を売ろうとする
とは。
 いかりを通り越して呆れるとはこのことですね。

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