+. Page 095 | 雨降る夜の亡霊 .+
 生命たちの精神を吸い取ることについては、神とされる存在が直接的に手をくだしたわ
けではなく、その手下にやらせたといったところか。
 実行させたのは、さらに手下の手下と続く存在であるといったところだろう。そうでな
ければすぐに手の内が読まれてしまうだろうから。そして自身が元凶であることを知られ
ないための防壁は幾重にもしておきたいはずでもあるだろうから。
 まず、そこでかかわってくるのが、神使という存在であるのだろう。
 神使とは、文字どおり神の使いやら眷族やらといったものを指す。神意を代行するため
に現世に接触するものであるとされる。彼らの姿は多種多様にわたるが、ひとくくりに天
使と呼ばれていることがしばしばである。
 ひとまず、動物を象徴した存在であるというわけだ。現世で動物が愛護されるというの
も、ほとんどの場合、無意識にそこに帰依しているからなのだろう。それによる是非はと
もかくとしても、動物たちが巻きこまれているという事実は変わらない。それが高じて、
いつしか肉を食べるという習慣がついたりもしたのだから。
 神使は、ほ乳類に続いて鳥類や爬虫類であったり、伝説上の生き物であったりするとい
われている。
 ほ乳類というと人型を想像しがちだが、この場合はクジラやイルカのような、海に生息
している存在に象徴されるもののことだろう。クジラのクは、十の下の九。
 ちなみに、それらに生物としての違いはなく、外見の大きさの違いでしかない。ただし
イルカがクジラになることはなく、クジラがイルカになることもないが。
 クジラといえば、リヴァイアサン・メルビレイという種類のものが生息していたことが
あった。
 リヴァイアサンは、海中の怪物であるといわれ、嫉妬を司る悪魔であるとされている。
 リバイアサンだとすれば、リハはリバーシブルのこととなり、ここからが表と裏が反転
した世界の始まりを意味する。単純に境界を意味する川であるリバーを指すのかもしれな
いが。
 イアは、邪心を崇拝するときの掛け声だといわれており、イートとエアで空腹に似た響
きを持つ。
 サンは、正気である度合いを示すものとして使われているサン値の由来でもあるのだろ
う。精神力のことでもある。なるほど、この落ちていく出発点の辺りから精神をむしばま
れ、正気を失っていくとくるわけか。
 リヴァイアサンの語源は、渦を巻いたという意味の言葉から来ている。渦中という言葉
もここに起因するのだろう。
 ねじれたという意味もあり、オルゴールを鳴らすときも、ねじを巻くところからはじま
る。常人とかけ離れた思考をする者のことを頭のねじが外れたと言い表す所以でもありそ
うだ。ねじが外れて、囲っていたものが壊れたからこそ、今まで認識できなかった外の世
界が見えてきたということなのだろう。狂ったかのように見えて正気に戻ってきたといえ
る。
 ここで連想させるのは螺旋であり、迷宮の地下のように、底のほうに潜っていく際にも、
この形状の階段が見受けられる。
 螺旋とは、いわゆる、世界のはじまり、世界へのいざないでもあるのだろう。はじめに、
ねじれによって正気をなくさせ、癖をつけさせて、外の世界への疑問を持たせないように
するための。
 螺旋をえがく貝がらというのもそういうことなのだろう。海という字のカイから来てい
て、階段のカイでもあるというわけだ。甲斐があるという意味の、冥利につきるという言
葉も、この上ない幸せであるとして、天にも昇る気持ちとして定着したのだろう。
 開くという字のカイも、やはり入口であることを示唆しているのだろう。
 答えを意味する解も、こここそが終着点ということでもあり、悟りの境地とやらを示し
ているというわけか。
 懐の字のカイで、壊れるやら懐かしいやらとはよく言ったものだ。
 魁という字のカイは、かしらのことをいい、これもとりわけ世界のはじまりを意味して
いるといったところか。世界のカイは大がかりな絵画のカイであり、快楽によって傀儡と
して飼いならす。しかしそれも維持ならず、泡沫の夢のごとく崩れ去っていく。
 生命たちは、現世へと航海に出るために船を漕いでいた。そのための道具のことを櫂と
いい、船の両端にそろったそれのことを真櫂という。真櫂はマカイと読み、ここが魔界で
あることを示唆していると見える。
 ところで、サンといえば案外、太陽のことのほうを指しているのかもしれない。最も身
近な天体であり、崇拝の対象とまでされていることから、十元凶もとい桃源郷、いわゆる
楽園のことをいっているのだろう。この場合は落園であるだろうが。落という字にさんず
いが入っていることからも説明はつく。
 楽園と似た音をした、罪人への刑罰である烙印というのも、水から火に転じたことから
はじまったものであると思われる。
 ついでに、沈みゆく太陽のことを落日といい、クジラがひっくり返ってラークジである
というわけだ。折れるという意味のくじけるや、物事の吉凶を決めるクジというのは、そ
ういった所以でもあるか。
 堕落はダーラクでラクダだといったところであり、そのラクダの姿かたちをしているの
がティアマトといったものである。
 ティアマトとは、涙の的という、いかにもといった名の、海の女神なのだ。海は産みで
あり、ガイアの母親に相当するか、またはそれに近い観念である。
 ティアマトが生み出した、男と女、その兄と妹こそが創世の神話に登場する、初の人類
とされる存在。
 そして、ティアマトの夫であるとされるのが、アプスーという、地底の淡水の海を司る
神である。
 アプスーとは、アビスのことをいい、深海や深淵、地の底や地獄のことである。
 案外、下位にあると思われるものが、見方によっては上位であるということか。いや、
むしろ奈落であることには違いないが、現世はさらにその下ということなのだろう。
 アビスの綴りはABYSSであり、αβγといったような世界を内包しているのだろう。
 アビスはエビスであり、エビスは蛭子でヒルコであるのだろうが、アワビであるといっ
たほうが適しているだろう。
 貝類であり、口を模したような姿かたちをしているアワビ。まるでセカイを飲みこんで
いるかのような。口のなかに口を加えると、回るとなってカイである。
 音を発するものの象徴としての口、やはり世界は言の葉によって構成されていて、どの
ように作りあげようとも、そこから逃れることは、だれにも不可能なのだろう。とっさに
偽名を使うとなると、無意識に本名の一部をとって付けるというのもそういうことであり
そうだ。だれしも、音のない環境では生きていけないのだから。
 歌意、これもカイと読み、歌にこめられた意味ということである。泡沫と書いてウタカ
タというのも偶然ではなさそうである。泡のアワは、淡い水のアワでもあるのだ。ウタの
下にあるものがウタゲで宴となるわけである。
 アワといえば、稲の一種であり、雑穀類である粟もそうなのだろう。炭水化物のタンス
イも淡水を指しているのだろうか。
 ちなみに、服などをしまっておくものはタンスだ。棚からぼたもちでいうところのボタ
は牡丹であり、ボタンの花のことをいう。
 炭素からなる灰燼はカイジンと読み、海底火山から灰を連想させたことによるものだと
思われる。これが意外と海神であったり、怪人であったりもするのだろうか。
 やがて、アプスーは、のちに生まれた神々の騒々しさに耐えきれなくなり、彼らを滅ぼ
そうとする。自分から増やすようなことをしておいて、手に負えなくなったら始末すると
いう事象は既にここから始まっていた。もちろん彼らは反乱して、返り討ちにあうことに
なったのだが。反乱と氾濫も同じようなものであるというわけか。
 その神々の主格がエアというものであり、アプスーを制して、その深淵のあるじとなっ
たという。
 エアといえば、空気のことであり、泡そのもののことであるだろうが、アリアの別称で
もある。アリアとは叙情的な独唱曲のことであり、詠唱という意味もある。
 また、アリアに似た名をしたものが、どこかの世界に迷いこむ逸話もある。
 アリ地獄というものがあり、この現世が既にそのなかであるというわけだ。ありは物質
の世界を表す有でもあるのだろう。
 ありがとうという言葉や、女王アリというのも、その上層をたたえるところから来てい
るのかもしれない。この辺りから上槽やら情操やらが繰りひろげられているといったとこ
ろか。
 それで、ティアマトはというと、自らも怪物を作り出して神々との戦いに繰り出したも
のの、結果は惨敗であり、亡骸はふたつに引き裂かれて天と地が創造されたという。

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