+. Page 076 | 陽だまりの影法師 .+
 時刻はまだ昼下がりで、生きとし生けるものの活動はこれからが盛んになるという頃で
あるというのに、空は今にも崩れ落ちそうなぐらいにどんよりとしている。
 この教会の牧師たちも、いつもならば、カーナル神の教えを、そこに住まう子どもたち
へと説いている頃合いだ。立ち振る舞いは粛々と、声は高らかに。しかしながら、最近で
は行われていなく、数日前に幾度か、どことなくどもりながら語っていたのが最後だ。
 一方、その子どもたちはというと、元気が衰えることを知らず、それどころか勢いすら
増しているようだ。彼らのなかでも年長である、黒い髪の彼は次々となにかの遊びをせが
まれることとなる。
 その後、早くも夕刻へと差しかかった頃。黒い髪をした彼、ミカゲは、気力さえなくし
ていないものの、さすがに疲れが出たようで、ひとつため息をついて廊下を歩く。
 その中途でミカゲは、向こう側で窓の外を眺めている、赤い髪をした彼を見かける。彼、
ルーインはもとより端正な顔つきであるが、なにかを思いつめているかのようなその表情
は精かんさを醸し出している。ルーインの姿は夕焼けの色と重なるが、彼は頑として自身
の輪郭を持たせているようだ。空がほの暗い赤であったため、彼の鮮やかな赤が際立った
というべきか。
 ミカゲは、ルーインに目を向けたまま思いをはせる。彼の思う彼女に、自身も思いを向
けていることなどを。彼と彼女は恋人という間柄ではないが、互いにそれに近い親しみを
いだいているのは確かだと。ミカゲとしても、恋愛感情というものではないにしても、彼
女に特別な気持ちを向けている。かたちとしては横恋慕ということになるのだろう。
 ただ、彼女のほうは、好きとか嫌いとかの感情を挟むことなく、よけてさえいるような
のだ。ルーインもそれを察しているためか、踏み込むことはしないようである。
 ――そうだ、彼女のもとへ行かなければ。今日はどこにいるだろう。
 そして、なおも窓の側でたたずんでいるルーインの妨げにならないようにと、ミカゲは、
音もたてないほどの足どりで外へと向かっていった。

 彼女をさがし当てた頃には、夕暮れという時は終わりを迎えそうであったが、彼は帰り
を促すでもなく、いつものように彼女の隣に腰を下ろして話し掛けた。
 彼女をさがし当てることは、今日も容易ではなかった。彼女、リゼの髪は陽の光を落と
したかのような白であるのだが、日も落ちかけたためか、姿を際立たせるどころか溶けこ
ませてしまったのかもしれないと。
 そして、昼間のできごとから解放されて、長い息をはいたものだから、
「ミカゲくん、ちょっと疲れてる……?」
 リゼが隣からのぞきこむようにしてたずねる。
「それから、ちょっとだけふらふらしてるみたい」
「うん。昼間にあちこちに引っぱりまわされたから、少し疲れたな」
 ミカゲには隠すつもりもなければ理由もなく、あっさりとそう答える。このまま横たわ
りたいところではあるが、そうすると髪や服まで汚れるだろう。文字どおり肩を落とした
状態でそう考えていると、
「わたしの肩にもたれかかっていいよ」
 リゼがそう持ちかけてくる。ミカゲが不意を突かれたかのように彼女を見やるとさらに、
「わたし、こう見えても頑丈なんだよ」
 色白で細い体で、かたくなな調子で言う。
 ミカゲは、彼女の言葉に疑心をいだいたわけでもなければ、鼻であしらったふうでもな
い。むしろ深く納得しているようですらあった。
「それじゃ、肩を貸してもらうよ」
 ミカゲが侵食するかのようにリゼに寄りかかると、彼女のほうも彼に寄りかかり、互い
にまったく抵抗なく受け入れる。ふたりの姿は、境界がまったくとらえられなくほどにま
でいたり、やがてはひとつの姿をかたどる。
 男と女、光と影。相反するもの、陰と陽。分かたれたふたつの力は、やがてひとつに収
束する。ごく自然な摂理であった。

 やがて、日も落ちる寸前の時刻がやって来たが、ミカゲとリゼは、どちらとも腰を上げ
る様子がなく、なおもくっついた状態で座ったままであった。
「なんだか、このまま空が落ちてきて、世界が壊れてしまいそうだよね」
 かく言うリゼは淡々としたもので、まるでひとごとだ。
「大丈夫。このまま夜がふけても、次の日にはいつもどおりの朝が来るから」
 ミカゲのほうも、彼女の問いになにを思うでもなく、ただそう受け答えた。
「そんな当然のこと、まじめに答えなくていいよ」
 ずばりとそう言いきられると、がくりと肩を落とすミカゲ。
「ミカゲくんって、普段はとぼけてるとこがあるけど、変なところで真剣だよね」
「手厳しいな」
 これもまたなにげなく、ミカゲがにこりとほほえみながら言う。
 すると、ふっとリゼの表情が曇っていく。まるでその場の空気まで変わったかのように。
「どうかしたか」
 ミカゲはというと、調子を狂わせたありさまもなく問いかける。
「ちょっと……、口が悪かったかなって……思って……」
「前からそんな気がしてた」
 消え入りそうな声で言うリゼに、ミカゲはなおも変わらない調子で、さらには愉快そう
に答えた。リゼは、あっさりとそう告げられるとは思っていなかったためか、落ち着きの
ない挙動を繰りひろげる。
「この世を生きるには、心の中に毒を持つことも必要だ。もちろん良識はだいじだけど。
そこのところ、リゼはちょうどいいぐらいだと思う」
 そして、無意識のうちに攻めの姿勢に入るものだから、彼女は動揺するばかりである。
 ミカゲは、そんなリゼの様子から、意味を理解しかねているのだと受け取り、こんなた
とえを持ち出す。
「料理を盛る皿みたいなものだ。やわらかすぎる紙だと乗せられないだろ」
 ちなみに、彼女のほうからすると、心のなかでの処理が追いつかない、その間に突飛な
話をされたものだから、さらに戸惑うこととなる。
 さらに彼は、そんな彼女の様子を、たとえが分かりにくかったのだろうと、間違った方
向へ解釈して、
「じゃあ、舞台だ。つくりが甘かったために台が壊れて、演技の続行どころか、役者の身
になにかあったら大変だろ」
 などとたとえなおすものだから、追いうちのようなものだろう。

 日は沈みきっていないものの、もう夜となった空がひろがる。
 それでも、彼と彼女は、どちらとも帰路に就こうとはしない。闇がせまってきているこ
とを気にとめていないかのように。
 しかし、闇夜というものは、普段は心に仕舞っている、暗い感情を引き出すものでもあ
る。それは過去の記憶とともによみがえる。
「嫌いじゃないって言って」
 ぽつりと、消え入りそうな声で彼女が言うと、
「好きだよ」
 彼は、それをかき消すかのように、精かんな表情で、そして明りょうな声で告げる。辺
りは風が吹きはじめ、草木の葉をざわざわとなびかせる。
「君は――?」
 やがて、空は完全な黒に覆われ、死の宣告をもたらしている様相であった。
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