+. Page 070 | 陽だまりの影法師 .+
 陽の輝く青空のもと、さらさらと揺られる草原。いつもならば緩やかなときの流れを思
わせる風景であるのだが、今日は少し違っていた。幾人かがはしゃいでいる声が、風に乗
って聞こえてくる。
 その先には、並んで腰掛けている、黒い髪をした少年と、白い髪をした少女。ほかには、
彼らと向かいあうかたちで、数人の子どもたちの姿。少し前までは、この場には彼らふた
りが来るのみであった。
 しかし今、こうしてにぎわっているのは、黒い髪の彼ミカゲが、白い髪の彼女リゼに、
ほかの子どもたちを連れてくることを持ち出したからなのだ。
 リゼは毎日、住んでいる教会を抜け出すたびに、この草原のどこかにいる。同じところ
にとどまっているのが得意ではないか、広くもない場所で大勢の者と一緒にいることが苦
手であるのかもしれない。さらに過去に受けた迫害の記憶が、それを助長させているのだ
ろう。彼女にも自覚がなさそうだ。ミカゲはそう推察している。
 それならばと。ミカゲは、リゼに帰ってこさせようとするのではなく、逆に彼女のもと
に連れてこようと考えたのだ。このひらけた場所で、彼女と話してみたいと言っていた数
人だけを。彼女も戸惑ってはいたものの、すぐに了承した。もとより、人を嫌っているわ
けではなく、彼らと仲たがいしているわけでもないのだ。
 あの教会に身を寄せている者たちは、事情こそ違えど、境遇は大差ない。だからこそ、
互いが互いに、だれかをおとしめようなどという気はさらさらないのだろう。
 それも相まってか、リゼのほうも、彼らと早めに打ち解けることができた。やがては、
ミカゲがその場にいなくとも会話などをすることもできるようになっていった。
 ときおり、あの赤い髪をした彼が、やや遠くのほうからその様子を見守っていた。

 ある日の、夕刻より少し前。厨房にて、ミカゲはひたすら食材を切っていた。数十人分
もの量を作る必要があるため、この時刻から下ごしらえに取り掛かっていても、決して余
裕があるわけではない。今ここで準備を終えても、馳走というほどのものを作るには時間
が足りないぐらいである。
 そのとき、外側から、扉がひらかれる音がする。控えめにひらいているようではあるが、
はっきりと伝わってくる。
 ミカゲが振り向いたその先にいたのは、白い髪をした少女。彼は、思いもよらなかった
来訪者に目をしばたかせながら見つめている。それからようやく口をひらいて、
「リゼ。どうかしたのか」
「なんでもない……けど、ミカゲくんをさがしてたら、だいたいここにいるって聞いたか
ら」
 そう聞いたミカゲはひとつ笑うと、
「だいたいここにというか、いつの間にか俺が食事の用意をすることが多くなってるな」
 まあ、いいけれど。もうひとつ笑ってそう付け加えた。
「あの……!」
 リゼは、なにかを意気ごむかのように、ぱっと顔を上げてなにかを言おうとする。この
様子では突然の思いつきであろう。ミカゲは、彼女がなにを言い出すのか、なかば楽しみ
に待つ。
「わたしも、なにか手伝う」
 ミカゲは、まったく予想していなかった申し出に、また目をしばたかせるが、すぐにま
た口をひらいて、
「それじゃ、手伝ってもらうよ」
 すると、リゼは大げさなほどにほっと息をはいた。
「ところで、なにか料理はしたことあるか」
「材料を切ったことならあるよ」
「よし、それじゃ……」
 そう言いながら、大量の野菜を取り出して流し台の上に置くと、
「ひとまずこれ、サラダ用に切って置いておいてもらっていいか」
 そうたずねられたリゼは、気合いを入れるようにして両の手を握りしめる。了承の合図
であるようだ。
 ミカゲは、次の作業に取り掛かる。これもまた大量のトマトを取り出して流し台の上に
置く。トマトは採れたばかりであるためか赤々としている。あまりにも鮮やかで、ともす
れば血の色を連想させそうなほどに。
 トマトを洗うと、次はへたの裏側の部分に十字の切れ目を入れる。一定の動作でそれを
繰り返すミカゲ。
 リゼは、気まぐれな手つきで野菜を切りながら、ときおりミカゲのほうをうかがう。彼
の手さばきに目を奪われている合間にも、自身が手にしていたきゅうりを床に落とした。
彼女はそれをさっと拾いあげて、おそるおそるミカゲを見やる。彼は、そんな彼女の様子
に気が付いていないらしく、先ほどと変わらない調子で手を動かしている。
 ほっとひと息つくと、そのきゅうりをまんべんなく洗いはじめるリゼ。ミカゲは、ちょ
うどひととおりの作業を終えて、そんな彼女にそっと目を向けてほほえんでいた。
 次に、トマトのへたの辺りをフォークで突き刺して、それをこん炉であぶるミカゲ。あ
る程度あぶり終えると、あらかじめ水を入れていた容器のなかに漬ける。その繰り返しだ。
「――っ!」
 そのとき、かみ殺したような声でうめくリゼ。誤って指を包丁で切ったようだ。ミカゲ
は、その様子に気が付くと即座に、
「ちょっと待って。確かここに……」
 そう言いながら戸棚のなかをあさりだす。
「あった」
 そして、見つけたばんそうこうをリゼに手渡した。
「あ、ありがとう……」
 リゼは、ミカゲのあまりにもてきぱきした行動に、反応がなかなか追いつけないでいる
ようであった。
 さて、先ほどのトマトが冷めてきたら、次は皮をむく作業だ。それから包丁で切って、
へたを取りのぞくと、皮と種の部分、実の部分をそれぞれ別の容器のなかに分ける。ミカ
ゲはそこそこ手慣れた様子でそれを繰り返す。
「それ、どうするの」
「実のほうはスープのなかに入れるんだ」
 皮と種の部分はあとで食べるつもりだろう。
 そんなミカゲの動きを、どことなくうずうずした様子で見つめているリゼ。
「リゼもやってみるか」
 不意にそう聞かれると、リゼははっとして、はずみで首を縦に振る。
 切れ目からむくとつるつるとはがれていく。リゼは、そのあんばいを楽しみながら手を
動かしている。
 ときに、火にかけて柔らかくなったトマトというのは、少し触れただけでも水分が滴り
落ちるものだ。扱いに慣れていないとなるとなおさらである。
 案の定、一連の作業を終えた頃には、流し台の上にはトマトの汁が散っていた。それは
さながら血の惨劇のようで。ミカゲとリゼは、その光景をしばらく眺めた後で、どちらか
らともなく顔を見合わせて笑い合った。
 食事の支度ができたのは、夜もふけた頃――なんていうことはなく、まだ日も暮れない
うちであった。
「ありがとう。おかげで早いうちにできた」
 ミカゲがそう言うと、リゼはおずおずと彼を見ながら、
「わたし、役に立てた……?」
「ああ。俺ひとりだと、これほどのものは作れなかった」
 主な品目は、ミネストローネとカルパッチョ。後者のほうは、初めのうちはただの焼き
魚とサラダにするつもりであったのだが、時間に余裕ができたため、魚を刺身としてさば
いて、野菜とともに、調味料を合わせて味つけしたのであった。
 今夜は、楽しい晩餐となりそうであった。
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