+. Page 058 | ディルト・リーゼフ編 .+
 昼夜を問わずに熱狂したにぎわいをうかがわせる、このリーゼフに構えるホテルでも、
早朝のせわしなさが解かれる時刻となると、ただ余韻を残したような静けさが訪れる。あ
とは、次第にではあるがやって来るであろう客人や、いまだに眠っているであろう者たち
が起きて来たときに迎える準備をしておくのみであった。
 フロントには、姿かたちはうりふたつであるといえるが、顔つきには違いのある、ふた
りの男がたたずんでいた。いずれも、成人する手前といった年ごろだ。ひとりは、黒い髪
をしており、いかにも支配人であるといった、ぱりっとした服に身を包んでいる彼。もう
ひとりは、銀の髪をしており、それなりに整った格好ではあるものの私服であることから、
このときに限った補佐として立っているのだろう。
 早速、来客を告げる、扉がひらく音がする。そんな気配を察するやいなや、黒髪の彼は、
「いらっしゃいませ」
 先ほどまで無表情であり、腕を組んだ状態で壁に背を預けていたのが、すぐさま営業の
姿勢に入り、優雅なしぐさで客人たちを迎える。顔にも、すっと仮面が現れたかのように、
穏やかな表情が浮かんだ。
 やって来たのは、両親と、男の子と女の子がふたりといった家族。彼らの心がはずんで
いる様子が見てとれる。
 銀髪の彼、レキセイが、荷物を預かって、部屋に案内する。作法はつい先ほど教えこま
れたためか、ぎこちなさが残るが、業務に差しつかえのあるほどではない。荷物を受け取
るときの手つきが、ごく自然な動作として映るものであったからかもしれない。荷物その
ものが、彼の手のほうに向かっていったかのようでもあった。

「ところで、いつか親に会いに行く予定はあるのか?」
 フロントに戻ってきたレキセイが不意にそう口にすると、問われたほうは拍子抜けした
ため、顔をしかめて、
「答える前に……。貴様、もっとほかに聞くことはないのか」
 そんなことのためにここにいるのかと言わんばかりだ。レキセイは、聞きたいことがあ
るから、ついでに仕事を手伝う――と言ったわけではないが、自然な流れでそのようにな
った。もちろん、背景にはそういった理由があったからなのだが。黒髪の彼のほうも、な
んとなく承知していたが、追い返すことはしなかった。むしろ、聞きたいことがあるのな
らば聞けばいいといった調子である。
「俺にとっては気になることなんだ。この旅の目的が、両親をさがして、今どうしてるか
確認するところにあるから」
 彼は、そう述べられると一息ついて、
「こちらから会いに行くつもりはない。なにか言いたいことがあるわけでもないし、わざ
わざ出ていっておどろかす必要もあるまい。俺も姉さんも、とりわけて会いたいとも思っ
てないからな」
 ただ事実を述べるかのように、淡々と答えた。レキセイは、納得がいかないような面持
ちである。それをくみとったのか、彼は続けて、
「もし会うことがあれば、そのときはそのときで構わん。だが、自らが売ったという認識
のある息子と娘が戻ってきたところで、罪悪感にさいなまれて、平然としていられなけれ
ば、以前のような生活が戻るわけではないだろう」
 レキセイは考えこむように黙って聞いている。彼は、それを意に介したふうでもなく、
さらに続ける。
「それに、今の俺たちのしてることも考えると、いずれにしても、一緒にいたところで不
幸にしかなるまい」
「そういえば、なんでその、エアリスというとこに入ったんだ。俺たちを捕まえると言っ
てる割りに、身の危険を案じてくれてるようでもあったし、少なくとも、悪いことをする
のは本意ではなさそうだと思ったけど」
 レキセイにそう指摘されると、ため息をつく彼。あのような忠告めいたことを言う予定
などなかったのに。何をやっているのだ自分は。そんな思いがくみとれる。
「エアリスとは、端的にいうと、神からの解放に向けて動いてる結社だ。カーナルの寝首
をかくための手段としては近いところにあるからな。ついでに、神の御心とやらに逆らう
にはうってつけというわけだ」
 かく言う彼の表情は相変わらずであるが、その瞳はどこか遠くを見ているようである。
「しかし、なにも知らない客から得た資金でやりくりしてる、この手段。くしくもカーナ
ルが人間を家畜のように扱う所業に相通ずるとこがあって気に入らんが、背に腹は変えら
れん」
 そこまで言うと、不意にレキセイのほうを見やって、
「人のことは、ときに武器であると見なすほかない」
 あくまで念を押すかのように言う彼。
「どれほどの火力があれど、それだけではあまり威力をなさない。力を乗せるための、も
しくは発砲するための媒体がなければ……」
 このあたりは、ほぼひとり言、自身に言い聞かせているふうであった。レキセイは思案
しているしぐさであるが、言葉の意味が理解できないというよりは、一歩ほど届かないた
めにつかみきれないといったふうである。
 そして、彼は、そんなレキセイのほうを再び見やって、
「武器としてどころか、姿かたちあるものとしてではない、ただの映像だと思わなければ
ならないときもある。感傷など、任務の妨げにしかならない」
「どうして、そこまでして……。人を悪者のようにすることを嫌っていたあなたが……。
それに、あの方って言ってたけど、いったいだれなんだ」
 あの方というからには、エアリスの上層部の者であるのだろう。少なくとも、この彼が
敬意を持っている相手であることは間違いなさそうだ。もしかすると、彼は、その者にか
どわかされているのかもしれない。神にさえ反逆の意を示すほどの精神力を持っていなが
ら、まさかとは思う。しかしながら、神とは違い、実在している人間であれば、口車に乗
せることはできるのだから、ありえなくはない。
 そう思いめぐらせるレキセイの様子を見やった彼は、またひとつ息をついて、
「俺は自分の意思で付き従ってる。利用されてることなど、百も承知だ」
 こともなげにそう告げられたレキセイは、驚いてものが言えないといった様子だ。
 ちなみに、あの方と呼んでいるのは、常に素顔を隠されているため、人である確証が持
てないためだと述べたが、レキセイの耳には入っていない。
「利用されることをよけて人を利用できるなどとは端から思ってない」
 きりりとした様子でそう述べる彼に、レキセイはというと、ますます開いた口がふさが
らないようだ。
「まあ、言いわたされた任務に不服があった場合には、放棄する権利すら与えられてる。
むろん、それによる罰則もない」
 それも機嫌をとるための手段だろうがなと付け加えて。
「その場合、ほかの者に任がまわる。つまり、俺たちがこの任務を放棄したとしても、貴
様らが追われなくなることはない」
「やっぱり、なにか勘違いをしてないか。俺は、護身程度の柔術が使えるだけの、ただの
こわっぱにすぎない。リベラルの団員の資格を持ってるとはいえ、リーナとふたりでなら
という条件つきでなれたものだし、まだ駆け出しの段階だ。わざわざ追いかけるほどのも
のでもないと思うけど」
「いや、貴様は相当の場数を踏んでるはずだ」
「ばかを踏んでるとまで分かっててどうして」
 彼は、レキセイの聞き間違いを気にとめずに続ける。
「成人してない歳でリベラルの団員になって間もなく、セイルファーデの事件を解決に導
いたとなれば、うわさぐらいは届いてくる。さらに、クロヴィネアで賊を捕らえたうえに、
大火事での騒ぎのなか、子どもを救出したとまでくれば、疑いの余地がないほどの逸材だ」
 今度はレキセイのほうがため息をつく。ひとりではなしえなかったことであり、それに
加えてもまぐれによって切り抜けられたものだと考えているためであろう。それよりも、
いずれの事件の背景にも様々な事情が絡んでおり、それを知っている身としては、たたえ
られたところで複雑な気分でしかないのだろう。
「関所のあたりで捕らえる手はずだったそうだが、やりそこなったから、構成員を直接つ
かわすことにしたんだと。そこで、俺たちが出向くことになったというわけだ」
 構成員でなかったとすれば、いったい……。それに、関所のほうであったできごととい
えば……。レキセイがそれらを照らし合わせて思い起こしたのは、身体の一部が機械化し
ていた動物たちが、明確な意思を持って自分たちに襲い掛かってきたときのことだ。
「まったく。あの人工動物の知能は人間と同等で、戦闘にも特化していると聞いたのだが、
あれをいなすとは。貴様らはやはり底が知れん」
「あれは、エアリスが差し向けてきたものだったのか。そんなことのために、動物たちを
機械化させるなんて……」
「既に存在していた動物たちに手を加えたのではなく、実在してる動物をもとに生成、つ
まり再現しようとしてるということだ」
 レキセイは、ますます分からないといったふうに、彼を見やりながら目をしばたたかせ
る。
「外見だけでなく、臓器やその働きも本物とたがわなく作ろうとしてるそうだ。機械であ
る部分は、完全には作りえなかったとこを補ってるんだと」
 今度は、なにかを考えこむ面持ちとなるレキセイ。
「命をもてあそぶ行為だといって、軽蔑するか?」
「いや、そうでもないみたいだ。たとえなにであっても、そこで生きてるものは生きてる
ほうがいい。人を襲わせたりするのはどうかと思うけど」
「ああ、本当にな」
 実感を込めて受け答える彼。この場では初めて表情の変化が見てとれた瞬間だった。
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