+. Page 049 | ディルト・リーゼフ編 .+
 とある娯楽場の一室、赤と黒の奏でる、優雅であって火花を散らすような舞台の展開が
くりひろげられていた。
 ルーレットのある区画では、ひとりの女性、というよりはまだ少女ともいえる年ごろの
彼女が、どうしたものかと、困ったふうに台の上に目をやっている。この場を受け持って
いる者、ディーラーが、彼女をみやったまま、
「さて、払うものを払っていただきましょうか」
 かく言う彼の口調には、丁寧ではあるがどことなく鬼気を含んでいた。きっちりと整え
られた身なりが、さらにそれを際だたせている。
 彼女は、次に来る目の予想に悩んでいるのではなく、手持ちの金額では支払いきれない
ところまで負けたようだ。世界の果てに立たされたかのように追いつめられていた。
「仕方ありますまい。あなた自身とその持ち物など、売りさばけるものすべてを都心のオ
ークションで」
 と、彼が続けて言いかけたところで、
「リーナ!」
 彼女の名を叫びながら扉をあけ、この部屋に入ってきたのは、青年というほどでもない
が、少年というわけでもなさそうな年ごろの、紫のかかった銀髪の彼。
「レキセイ……」
 彼女、リーナは、顔を上げて、声のしたほうを向くと、消え入りそうな声で彼の名を呼
んだ。
「今、アルファと二手に分かれてさがしてたところなんだ。いつの間にここに……? い
や、それよりなにかあったのか」
 レキセイにそうたずねられると、リーナは、落ち着きをとり戻して、状況を説明する。
「あ……ルーレットでの賭け事にさそわれて、でも全然勝てなくて、今十万リラも負けて
るところ」
「じゅ、十万リラ……!?」
 叫んだというほどでもないが、驚がくを隠しきれないレキセイ。
 そして、なにがなんでも今すぐ払ってもらうという身構えのディーラー。レキセイは、
しばらくなにかを思案した後、意を決したように、
「今ここで十万リラ勝って、それを支払えば差し引きゼロということでいいですね?」
 そうたずねられると、表情を変えないと決めこんでいるはずのディーラーが、きまりの
悪そうな顔つきになる。そのとおりであると受け取って差し支えないようだ。
「……ええ。よろしければお相手いたします」
「では、まず百リラで、黒のところでお願いします」
 レキセイがそれで行こうとすると、
「それだけでかまわないのですか。ひとつの数字に限定し、金額を高めに賭けますと一層
お楽しみいただけるかと存じます」
「いいえ、まずはそのぐらいの金額で、二の倍率で行きます」
 さそいに応じることなく、そう貫徹する。そんなレキセイを、リーナは、きょとんとし
た面持ちで眺めている。そのようなルールもあったとは知らなかったと言わんばかりに。
 命運を分かつルーレットが、カツカツといったような音をたてて、小気味よく笑ってい
るかのように回りはじめる。その針の指すところは、
「黒。お客様の勝ちでございます」
 ひとまずは安心といったところであるが、レキセイはなおも気を抜かず、
「次は奇数の、百リラで」
「次もそれだけでかまわないのですね」
 彼がうなずくと、再びルーレットが回りはじめる。その結果は、
「十五。またお客様の勝ちでございます」
 ほっと一息。レキセイは相変わらずな様子で、
「……赤。次も百リラ」
 そして、次にルーレットが指したところは、
「黒。こちらの勝ちでございます」
 それでも慌てふためいた様子はなく、次の指定をしようとしたところで、
「おい。リーナ、どこにいった?! レキセイはどこにいる?!」
 この部屋の外から聞こえてくる、次々に扉をあける音と、男の声。しびれを切らせたア
ルファースが叫びながらさがしているようだ。
 やがて、アルファースが、この部屋の扉をあけるやいなや、
「お……お前ら……。こんなとこでなにやってんだ。ずいぶんとさがしたんだぞ」
「リーナが負けちゃって、今レキセイがとり戻してるところなの」
 おどろき交じりにあきれている様子のアルファースに、弱々しく告げるリーナ。
「あのなあ。どこかに行きたいときは一声かけてからにしてくれ。そもそも、素人が安易
に賭けに乗るな――いや、そんなことより、勝負はどうなってるんだ。返せそうなのか」
 リーナは、言いにくそうに黙りこむ。
「ちなみに、いくらだ」
 おそるおそるたずねるアルファース。
「…………十万リラ」
 そう告げられると、彼は、叫ぼうとして声が出なかったようで、口を大きくあけたまま
の状態になる。
 レキセイとディーラーの勝負はなおも続いている。状況は一進一退であるが、レキセイ
のほうが徐々に追いこんでいた。彼は、赤か黒、奇数か偶数といった、勝敗によって、賭
けた金額の出入りが二倍になる指定しかしていない。そうすると、勝ちつづけられるわけ
でもないが、負けつづけるわけでもなく、難なく結果を出していける。手持ちが増えたと
ころで、賭ける量までは増やさず、地道に貯めていっているのだ。増やすとしても、高額
にならない範囲であり、それも次の目で勝てるか否かの予想をたててから決めているよう
だ。
 リーナとアルファースは、カタズを飲んで、勝負の行方を見守っている。
 それから二時間ほど経過して、
「……これで十万リラの獲得です。このままお返ししますので、リーナが受けた勝負はな
かったことにしておいてください」
 ゆっくりと、そう告げるレキセイ。
 すると、口をぽかりとあけるリーナとアルファース。レキセイと勝負していたディーラ
ーと、ほかの区画の彼らからも、たじろいでいるような表情がうかがえる。
 当のレキセイはというと、勝利の余韻に浸っているわけでもなく、あくまで、事がやっ
と終わって一安心しているといったふうである。そんな彼に、ディーラーは、
「どうでしょう。今度は、金額や倍率を上げて、ただゲームとしてお楽しみいただく」
 そう言いかけたところで、
「そこまでにしておきな」
 不意に、この部屋の奥のほうから聞こえてきた、低めの、女性の声。不敵に笑う熟女と
いった風貌である。見たところ三十代半ばといったところか。服装は、露出度が高く、す
き間なく密着したものであるため、体のかたちがくっきりと現れている。頭には、うさぎ
を模した耳が装着されていた。
 レキセイとリーナは、思うところは違うようであるが、取りたてておどろいているよう
でもない。アルファースはまたもや口を大きくあけている。ディーラーたちはというと、
色香に迷っているわけでもなく、不審に思っているでもなく、恐れおののいているようで
ある。どうやら、それなりに地位ある者のようだ。
「イーブンに落としこまれるだけで済んでありがたいと思え。こいつらにルールをすべて
教えこんだうえで勝負してたら、圧倒的にこっちが不利だったところなんだからな」
 小気味よく、ハイヒールで歩く音をたててこちらへやって来ながら、ますます不敵な調
子で言う彼女。
 ディーラーたちは、なおも言葉を失っているが、ほうけた調子でレキセイたちを見やる。
「リーナといったか。ふむ、カーナル神が遣わしたとされる、革命の女神の名だな」
 不意にそう述べる彼女の表情は、不敵さのなかに、どことなく哀切が含まれている。
「それはともかく、彼女、完全とはいかなくとも、見るからに勝利の星に生まれついてる
だろう。突飛なやり方を持ってこられたらひとたまりもないだろうな」
「は、はい……?」
 ディーラーのうちひとりが、やっとのことで反応できたといったふうである。彼女は続
けざまに、
「この銀髪の兄ちゃんなんて、相手があたしであれ、負けず劣らずといったところまでき
ただろう。まあ、相手に合わせるかたちでどこまでも強くなるというのが正解だろうが」
 一同が、なんとも言えないといった様子で、かく言う彼女を眺めている。さらに、そん
な彼らをよそに続ける。
「それからこいつら、今は武器を持ってないようだが、そろいもそろってリベラルの団員
のようだしな」
「んな……!?」
 そう言い当てられて、間の抜けた声をあげるアルファース。レキセイとリーナは、ただ
目をしばたかせている。
 そう聞かされたディーラーたちは、混乱を隠しきれない。
「やれやれ。お前ら、人の能力を推し量れなかったばかりか、見かけで判断するなど、修
行が足りない証拠だ」
 彼女の口調は、言葉づかいとは裏腹に、子どもを教えみちびくかのようであった。この
後に続く忠言といえば、通行人に声を掛けてさそうことは違法であることや、その標的と
いうのも、賭博についての知識がない少女であったとなると、裁判にかけられた場合の勝
ち目はまずないといったことなど。そして、
「ディーラーではあるが、人に夢を見せることをなりわいとしてるには違いない。そんな
やつらが、欺くところまでいって、幻滅させるようなことがあるなんぞ致命的だぞ。幸せ
な時間だったと言わせて初めて勝ったと言えるんだ」
 そう締めくくるようにして述べた。どうやら話はひととおり終えたようだ。その期をね
らったかのように、
「あの……」
 レキセイがそう声を発すると、彼女は、そちらを向き、なにかに気がついたようで、
「ああ、自己紹介がまだだったな。あたしはここのオーナーをしている、エナ・ヴィアン
トという者だ。よろしく」
「あ、はい。こちらこそ」
「それで、お前は?」
「レキセイ。レキセイシルヴァレンスです」
 そう告げられると、彼女――エナが緩やかに関心を持ったかたわらで、
「シ、シルヴァレンスですと!?」
 一斉に、ディーラーたちの間でひろがるざわめき。レキセイたちは、事情がわからず、
ただ彼らのほうを見ながら目をしばたかせるだけである。
「落ち着けお前ら。ディーラーなんだろ。シルヴァレンスなんて、この辺では珍しくない
姓だ。それに、あのシルヴァレンス一家なら、全員の死亡が確認されたはず。こいつに関
係あるわけないだろうが」
 エナがそう述べると、ディーラーたちは落ち着きをとり戻したようではあったが、興奮
はまださめきっていない。
 優雅であって炎をあげるようなこの空間の雰囲気が一転、魔が忍び寄って、冷たく刺す
ような空気へと変貌していくようであった。
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