+. Page 047 | ディルト・リーゼフ編 .+
 翌日、時刻は朝と昼を越えて夕方。
 ディルト・リーゼフの領内にある、とある町は、煌々としているまでの夕陽で染まって
おり、建ちならんでいる家々や、生活を営む人々ののどかさが際だっている。
「はああ、やっと町に着いたあ」
 その一角から、少女の間延びした声。彼女は、夕やけにかすみそうな、薄い紅色の髪を
している。
「テュアルの夕空も映えるけど、この町の夕やけもきれいね」
 そして、同伴である彼に同意を求める。彼の髪の色は、この夕陽によってますます目だ
つ銀である。
「うん。なんだか懐かしいような感じだ」
「おい、油断するな。こういう場所のほうが不意に襲われるってこともあるんだ」
 ふたりより幾歩か後ろから聞こえてくる声。夕空とは対照的な、鮮やかなまでの水色の
髪をした彼。
 彼らは皆、旅人のいでたちであり、成人する手前の年ごろである。
「わかってるわかってる。ひとまず宿を探しましょ」
 少女、リーナは、そう言いながら、くるりと一度まわり、歩を進める。
「宿はどこだろう」
 銀髪の彼、レキセイは、辺りを見まわす。
「とにかく、だれかに聞いてみるぞ。おーい、そこの人」
 かく言う、空色の髪の彼、アルファースの視線の先にいたのは、町のなかにある畑で仕
事をしていると思しき中年の男性。
「ん? おお、旅人さんか。こりゃまたずいぶんと若いな」
 男性の手には、夕陽を浴びてさらに赤く映えるトマトがあった。
「どうだ、食っていかねえか。今ならうまいぞ。やっぱこれはもぎたてがいちばんだな」
 そして、彼らの前に三個のトマトを差し出す。
「いや、あのだな」
 アルファースがやや困惑しているなか、
「わーい、いっただきまーす」
 即座に飛びつくリーナ。
「いただきます」
 レキセイも、食べ物を受けとらないということはないようで、素直に応じる。
 やがて、アルファースも、食べ物の誘惑に逆らうことなく受けとった。
「わあ、トマトなのに甘くて、柔らかいのに歯ごたえがあっておいしいわ」
 リーナは、一生懸命ともいえるほどの勢いでほおばっていた。
「そういえば、さっきから聞こうとしてたんだが、ここって宿屋はないのか?」
「ははは、最初はわかりにくいかもな。こっちだ、ついて来い」

 彼らが案内された宿屋は、周囲の民家と区別がつかない造形であった。しいて違いを挙
げるならば大きさであり、集合住宅を思わせる。
 レキセイが、扉を開けると、
「ごめんください」
 入るための許可は必要ないのであるが、つい断りを入れる。
 内部はというと、扉の近くに帳場がある。ここまでならば極ありふれた造りであるのだ
が、そう遠く離れていない場所に、幾台かの食卓があった。規模の大きい台所といったふ
うである。
「あれま、お客さんかね。お泊りなら、ちょうど空いてる部屋があるよ」
 そう言いながら、帳場の奥にある扉から出てきたのは、気前のよさそうな、中年の女性
である。手には、宿泊者たちのものと思しき衣類の入った、大きなかごを抱えている。
「はい、泊まらせてもらいます」
「三名さんだね。この記帳に名前を書いとくれよ。あとで二階の部屋に案内するよ」

 ――夜。寝しずまった頃の闇というものは、人々の不安をかき立てる。夢のなかであろ
うとも襲いかかってくることがあるのだ。
 彼は、視界を覆いつくす、猛吹雪のなかを歩いていた。なにかを求めるように、だれか
をさがしているかのように。
 彼は、この薄暗い空に対抗するかのような、鮮やかな水色の髪をしていた。一点だけの
それは押しつぶされそうになりながらも、ひたすら進む。
 やがて、目的の場所が見えてもいないところで、彼の意識は遠のいていく。その間際に、
彼がつぶやいた言葉は。
「……兄さん……」

 深夜、辺りは相変わらずの静けであった。
 目を覚ましたアルファースは、緩やかに上体を起こし、長い息をはく。
 そして、おもむろに寝台からぬけ出ると、音をたてないようにしながら扉のほうへと向
かう。彼とともにこの部屋に泊まっているふたり、リーナのほうはともかくとしても、レ
キセイのほうは、小さな物音であっても目を覚ましかねないからだ。
 なにごともなく部屋をぬけ出たアルファースが着たところは、この宿泊施設の露台であ
る。天井の端につるされた、携帯用であるばかりの大きさの電灯から、光の流れる音がか
すかにするようであり、郷愁を思わせる夜の静けさを引きたてているようでもある。
 アルファースは、しばらくの間、手すりにひじをたて、ほおづえをついたまま、夜空を
どこともなく眺めていた。
 やがて、アルファースの背後から、扉をあける音がする。彼は、レキセイを起こしてし
まっていたかと思いながら振り向いてみる。
 しかし、そこにいたのはリーナであった。
「こんばんは。星がきれいね」
 にこりとほほえみながら述べるリーナ。ありふれた詩を読みあげるようでありながら、
どことなく神聖な響きをのぞかせて。
「おじゃまだったかしら?」
「……いや。だれがどこにいようがかまわない。お前がここにいるかどうかも勝手だ」
 リーナは、了承だと受け取り、またにこりとほほえむと、アルファースの隣に立つ。
「起きてきたのはレキセイのほうだと思ってた。だれかの声か物音がすればすぐに起きる
って言ってたから」
「ふーん、そうなんだ。でも、アルファも、レキセイを起こさずに出ていたなんてすごい
じゃない」
「足音はもちろん、扉をひらく音もたてないようにしてどうにか出てきた」
「うふふ、自然に出てきてレキセイを起こさずに済むのは、やっぱりリーナだけみたいね」
 そのことが誇らしいと言わんばかりのリーナであった。
「居慣れてるからかもしれないけど、リーナが殺し屋さんだったら、とっくに寝首をかか
れていたわね、あれは」
 そして、あくまでにこやかに、自然な調子で話す。
「そういえば、一緒にいたのは生まれたときからではないと聞いたけど、いつ出逢ったん
だ?」
「もうすぐ五年になるかしら」
「ってことは、十かそこらのときってことじゃねえか。どういういきさつで同居すること
になったんだ?」
 アルファースは、レキセイから聞いた話と照らし合わせた結果、あえて口には出さなか
ったが、道ばたに置き去りにされたのだろうと推察していた。しかし、十かそこらの年齢
であったとなると、帰り着くことはできるだろうと考える。どの土地であっても早々にな
じむリーナの性質であればなおさらだろう。
 リーナは、上目で空を眺めながら、少しの合間になにかを考えたかと思いきや、
「リーナね、それ以前の記憶がないの」
 あくまで軽やかに、それだけを告げた。
 アルファースは、顔をしかめているが、不快に思ったわけでもなく、いぶかしんでいる
わけでもない。突拍子もないであろう話に、思考が追いついていないだけであるようだ。
「レキセイも、このことは言ってなかったみたいね」
 もとから、人の秘密を話すような人ではないからか、記憶がないことに関して、それほ
ど重大にとらえていないからかはわからないけれど。リーナは、そのように付け加えて言
った。
「……お前は、記憶を取り戻したいのか?」
 あっけにとられていたアルファースの、やっと口からついて出てきた言葉。
「わからないの」
 そして、なんともなさそうな様子の、あっさりとしたリーナの返答。
 アルファースは、今度こそおどろいて、あいた口がふさがらない。
「記憶がなくてもそれなりにやっていけるけど気になるし、取り戻したところで、自分の
ものだと思えなさそうな気もするし、だからって、ないままだと不安になることもあって
……」
 リーナは、口もとに人差し指を当てたまま、彼女自身も面倒に思っているであろうその
思考を、どうにか言葉にまとめる。
 アルファースは、夜の冷たさで澄んだ空気を、肺いっぱいに吸いこむと、
「だったら、流れに任せておけばいいだろ」
 きょとんとした様子で、アルファースのほうに顔を向けるリーナ。
「さがしものってのは、躍起になってさがそうとすればするほど余計に見つからないもの
だ。それに、受けとる準備が整ってないなら、その間にしておいたほうがいいだろうしな」
 リーナは、ただ黙って聞き入っていた。そして、
「――うん、そうね。そうしておくわ」
 意を決したように、ぱっと明るい表情で受け答えた。
 それから、しばらくの間、高く緩やかな、心地のよい響きを思わせる空気が流れていた。
「それで、一緒に住むように押したのは、やっぱりレキセイか」
「提案してくれたのはラフォルだけど、道ばたから連れ出してくれたのと、とどめの一言
はレキセイのほうだったわね」
「あいつは、昔から変わってないんだな」
「うふふ、中身は変わってないわね。口やかましくはなってきたけどね。旅に出てからな
んて特に」
「……そうか」
 アルファースは、つまらない話だと思っているふうではないが、なにかを考えこみなが
ら受け答える。
「とりあえず、もう寝ようぜ。あまり長い時間ここにいると、あっという間に朝が来ちま
う」
「それもそうね。おやすみ、アルファ」
 上機嫌な様子で、くるりと向き直り、部屋へ戻ろうとするリーナ。
 アルファースは、気の持っていきどころに困ったといったふうに頭をかく。間もなくし
て、彼も、リーナに続いて、部屋のほうへと戻っていった。

 空に明るさがひろがり、人々も目を覚ましだす頃。
 レキセイとリーナ、アルファースも、泊まっている宿の食卓にきており、朝食をとって
いる。
 品目はなんとも言いがたいものであった。異臭を放つ、泥のように濁ったスープのなか
では、なにか白いものや、ほかなにかが浮いている。食べ物といえば、肉があるが、生で
あり、得体のしれないなにか白いものまである。辛うじて食べられそうなものといえば、
きゅうりがあるが、こちらも異臭を放っており、しおれているようであって、緑の色もく
すんでいる。しまいには、やはり白くて得体のしれない、粒状のものが盛られている。お
まけに、ナイフやフォークは出されていないばかりか、棒状のなにかが二本あるだけだっ
た。
 調理を手がけている者はというと、悪意のかけらも見うけられず、昨日と変わらず気前
の良さそうな性質であった。ちなみに、中年の女性で、姿かたちは人間である。
「なっ、なによこれー!?」
 そう叫んだのはリーナである。
 レキセイとアルファースは、それらを二本の棒ではさみながら、平然と口に運んでいた。
 レキセイは、食事をもらえるならば、本当になにであってもいとわないといったふうで
あり、片やアルファースは、ひとまずは腹をふくらませておくべく、必死ともいえる様子
で食べている。
「どうしてそんなに平気そうに食べるのよ。もう、男って信じられない」
 ひたすら大声を出すリーナ。
「いや、でも食べてみると、おいしくないことはない気がしてきて」
 どことなく魅入られた様子で、そう述べるレキセイ。
「どこがよ。ラフォルの創作料理のほうが、食べ物なだけまだいいわ」
「そうはいっても、昼食を抜くぐらいなら中ショックで済んでも、朝食の場合は超ショッ
クだってよくいうだろう」
 そして、レキセイは、謎の解説をし始めた。
「……あのな。これは東方の郷土料理で、みそ汁と刺身、それときゅうりの漬物だ」
 すると、料理の解説をするアルファース。
「あれま、都会のほうから来た旅人さんには、珍しいものに見えたかねえ」
 そう陽気そうに言ったのは、調理を手がけていた中年の女性である。
「毒なんか入っちゃいないよ。それどころか身体にはいいものさ。ああそうだ、ご飯のお
かわりならあるけど、どうだい」
「ああ、いただく」
 アルファースは、茶わんと呼ばれるその食器を差し出して言った。
「はいよ。若いんだからねえ、しっかり食べて行きなよ」
 中年の女性は、からりと晴れたような笑い顔で言うと、茶わんに、白い粒状の食べ物を
盛っていく。
 朝、天気は晴れで、青々とした空がひろがっており、希望の光が満ちてくるようであっ
た。
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