+. Page 021 | セイルファーデ編 .+
 セイルファーデ――憩いや買い物、仕事など、さまざまな目的で行き交う住人や観光客
たちでにぎわう都。しかし、それにしては、人々の動きは、なにかにせきたてられている
様子である。彼らは、不ぞろいな足どりで、あらゆる方向に行き交いしている。いらだち
をぶつけるように物をけるなどしている男や、いたたまれないように顔をうつむける女、
そして、悲痛な叫び声を飛び交わせる、子供たち――。
 都の外観はというと、相も変わらず気品に満ちている。澄みきった水が連なり、一定の
調子で流れている、都じゅうに張りめぐらされている水路。いちばんの見所である噴水は、
芸の細かさに加え、どんと構えているような幅広さを誇っていた。冷ややかなほどに清ら
かな水を、流動しつつも不変にかたちづくらせながら。
 その一角、慌てるように小走りでありながらも、一定の速さで進んでいる彼がいた。や
や紫の掛かった銀髪が特徴で、少年と青年の中間ほどの顔だちである。そして、彼の数歩
ほど後ろから、付いていくようにして、薄い紅色の髪を結っている少女、彼よりやや年下
といったところか。
 そんな彼らが着いた先にあったのは、この都のなかでいちばん大きな屋敷。おそらく、
市長である者が住んでいるところか。そこの門前には、人だかりができていた。どよめく
ような不協和音を奏でる人々の声。そんななか、
「――ぐあ……っ」
 どことなく力の抜けた苦しげな声とともに、後ろに倒れる、気性の荒そうな男性。それ
とともに、悲鳴をあげる大衆。その目前には、全身を黒い服でまとい、黒いサングラスを
掛けた、大柄な体躯の男が、片腕を広げて立ちつくしていた。
「市長は病床に伏せっておられる。我々とて、手荒な真似はしたくない。お引き取り願お
う」
 静かでありながらもどことなく威圧感のある声。先ほど押しきろうとした男性は、立ち
あがるそぶりもなく、声のぬしをただにらみつける。それが精いっぱいの抵抗であるかの
ように。
「ちょっと、すみません。通してください」
 そのとき、慌てふためいている様子の声が聞こえてきた。その先にいたのは、やや紫の
掛かった銀髪の彼、レキセイ。
 彼は、人々の合間から、よろけるような動作で、着々と門前へ向かってきている。
 さらに、レキセイの相棒である少女、リーナが、流れるような動作で、彼に付いていく
かたちでやってくる。
 そして、ふたりが、物おじする様子もなく、身分証明書のようなものを、警護の者たち
に提示すると、
「LSSの者です。支部のほうから派遣されてきました。どうにか市長に取り次いでもら
えませんか」
 レキセイのほうが、ややちぐはぐな口調で交渉しようとする。
「申し訳ないが、LSSとて招き入れるわけにはいかない。来客はすべて断ってほしいと
のお達しだ」
 警護の者はというと、相手が未成年であると判断したためか丁寧に応対しているものの、
頑として通そうとしないようだ。
「そんなの、リーナたちだって、市長さんの話を聞いて帰らないと大目玉くらっちゃうわ。
ねえ、なんとかならない?」
 さらに、リーナのほうが、至って無邪気な様子で掛けあうと、
「申し訳ありません。市長命令ですので」
 そして、飽くまで丁寧な口調で応じる警護の者。そんな彼の表情には静けさがたたえら
れているが、うっかりと琴線に触れようものなら、それももろく崩れ去りそうであった。
 くいくいと。リーナのそでを引く者がいた。レキセイであった。どうやら、こちらへ来
いという合図のようだ。彼女は、そのことを即座に解したようで、彼の行くほうへ続いて
いく。
 そして、市長の屋敷からやや離れたブリッジまで来ると、
「殺傷ざたになったらいろいろとまずい。とにかく、駅のほうにも行って掛けあってみよ
う」
 ちょうど彼女にだけ聞こえるような声で告げる彼。
「えー、でもまた同じことになるんじゃないの? それに……」
 と、リーナが言いかけたところで、
「レキセイ?」
 目を見張るようにしてどこか遠くを見つめているレキセイ。
 その先には、先ほど、市長の屋敷の門前に集まっていた人々がいた。彼らからは、不安、
いらだち、やるせなさといった負の念が渦まいている。
「おい、あんたたちLSSの団員なんだろ。あいつらとっちめてくれよ」
「お願い。昨日からなにも食べてなくて、子どもが泣いてるの」
 悲痛や憤りを含んだどよめきの声とともに、伸ばされた幾多の手が、ふたりのほうへと
押しよせる。それは、へびのように絡みつきそうに。ともすれば、絶対的な信仰のように。
「え、あの、ちょっと……」
 レキセイは、困惑しつつも、彼らからのがれるそぶりはない。むしろ受容しているよう
でさえあった。
「きゃあ!」
 突如として聞こえてきた、リーナの悲鳴。レキセイが、はっとしてそちらのほうを向く
と、
「このっ、いったいどうなってやがんだ。おい!」
 そこには、大の男に両肩をつかまれ、当たり散らされているリーナの姿があった。
「――ちぃ……っ」
 レキセイは、苦しげに舌打ちするような声を発すると、即座に彼女の手首をつかむ。
 群集の混沌とした声をよそに、そこから連れ去るように、そして目が届かないところへ
のがれるようにして引っぱっていった。

 レキセイとリーナは、幾枚かの案内板が設置されている広場へたどり着いた。
 引っぱるようにして彼女の手首をつかんでいる彼。両者ともやや息切れしているところ
から察するに、走ってきたのだろう。
「……ふう。ここまでくれば……なんとか……。リーナ、大丈夫か?」
 レキセイが、そう言いながら、緩やかな動作で彼女のほうを向くと、
「う、うん。リーナは平気」
 リーナは、呼吸は立てなおしたようであったものの、どことなくまごついているようだ。
 レキセイは、納得したのかしていないのか、目をぱっちりとさせながら彼女をうかがう
と、つかんでいた手首から滑らせるようにして、彼女の手を握った。
 そして、その状態のまま、ひときわ目だつ看板を掲げている建物のほうに目をやると、
「駅のほうにも人が押しよせているな……」
 そこには、押しよせるような人だかりがあった。さらに、その目前には、全身を黒い服
でまとい、サングラスをかけた男たち数人が、頑として通さないと言わんばかりに、ゲー
トの付近に立ちはだかっている。両者の合間には、数名のLSSの団員が割って入ってい
る。
「駅を封鎖したのも軍だと聞いたけど、誤報だったのか? それから、あの人たちも、市
長が雇ったのか?」
 考えこむようにぶつぶつと言うレキセイ。
「どっちにしても、あのままじゃ通れないわ。どうする? 強行突破しちゃう?」
 先ほどの様子とは裏腹に、遊びにでもさそうかのような口調でたずねるリーナ。
「いや、またさっきと同じことになるだろうから、やめておこう。あそこは、あの団員た
ちに任せておこう」

 レキセイとリーナは、ふらふらとした足どりで、さまようかのように歩いている。
 本当に、ひらかれた場所はどこにもないのだろうか――どれほど硬く、どれほど平面的
であれ、空洞がないとは言いきれないのではないか。
 このまま、緩やかに終わりを受けいれてゆくしかないのだろうか――そもそも、人に与
えられた身体はなぜ、食べないと生きてゆけないようになっているのか。
「う……、わああああん」
 そのような思考をも打ち破るほどの、高く鋭い泣き声が響いてきた。
 その場でそう考えこんでいたらしいレキセイも、はっとしたように、悲鳴が聞こえてき
たほうへ目をやる。リーナも、つられるようにしてそちらを向いた。
 そこには、母と娘と思しきふたりの姿があった。泣きじゃくる小さなおんなのこを、ひ
たすら抱きとめている女性。
「わああん、ママー、おなかすいた……おなかすいたよお」
 女性は、打つ手がなく困っているようであった。
「ねえ、レキセイ。せっかく買ってきてくれたけど、これ、あげてもいい?」
 持ち歩いていたらしいこんぺいとうを手にしてたずねるリーナ。
「それはいいけど、あの子ひとりにあげたところで解決には到底……」
 そして、瞳を閉じ、静かに首を横に振りながら受け答えるレキセイ。
 リーナは、しばらく困ったように考えた後、ふたりのほうへ駆け寄り、
「ねえ、よかったらこれどうぞ」
 手にしていたこんぺいとうを差し出す。
「あ……ありがとう」
 そうひとこと告げると、おんなのこは、受け取ったこんぺいとうを夢中でほおばりだし
た。
「あの、ありがとうございます」
 女性は、本当に助かったと言わんばかりに頭を下げている。そして、そんな彼女たちの
様子に、ほほえましそうにしているリーナ。そんな他愛ない、穏やかなとき。
 レキセイは、彼女たちからやや離れたところで、じっと見つめている。
 しばらくすると、いぶかしげに歩いている男の姿が映る。
 やがて、男は、獲物を見つけたかのように走りだす。向かっている先には、母と娘らし
いふたりと、そこに付き添っているリーナの姿があった。
 そんな男の手首が、不意に、だれかに捕まれる。仰天した男の目に映ったのは、
「LSSの者です。俺は、あなたを犯罪者にはしたくありません。この場は引いてくださ
い」
 苦しげな、混沌とした様子の表情をうかがわせている、レキセイ。
 すると、そんな彼にけおされたのか、男は、ばつが悪そうにその場を去っていった。
 レキセイは、すぐに身を引いた男の振舞にほっとしたのか、顔に入っていた力がふっと
抜ける。
 やがて、彼も、彼女たちのもとへと向かっていった。
「あっ、レキセイ」
 そして、屈託のない様子で、彼の名前を呼ぶリーナ。
「……? どうしたの」
「ん? ああ、あの人たちを家まで送ろうと思ってたんだ。外だといろいろと物騒だから」
「あ、そっか。そうだよね」
 彼女は、それだけの説明で納得すると、ふたりのほうへと向き直り、
「おーい、ふたりともー、おうちまで送っていくよー」
 両腕を上げて振りながら呼びかける。
「なにからなにまでありがとうございます」
 すると、頭をしきりに下げながら感謝の言葉を告げる女性。そして、こんぺいとうを食
べ終えたらしいおんなのこは、
「あーあ、たべるもの、もっとないかなあ……」
 うなだれながら、満たされない願望をつぶやく。ささげることなくして受けた恵みでは、
喜びを感じることは困難であるようだった。

 飲食店の出入口には、人だかりができていた。彼らは押しよせるようであり、なかには、
扉をけったり殴ったりしている者もいた。
「おい、開けろ! 金なら出すっつってんだろが」
 営業が機能している場合は、それが常である。しかし、今は、それさえもままならない
状況であった。
「じゃまだ、どけ!」
 そして、他人を押しのけ、我先と言わんばかりに店に入っていこうとする者までいた。
「なにしやがる、この……!」
 押しのけられた相手は、けんかっぱやくも殴りかかろうとする。
 そのとき、かわいたような鈍い音がした。
 殴られたのだろうか。しかし、当人は、防御の姿勢をとっていたものの、それは取り越
し苦労であった。
 では、殴ったのは壁なのだろうか。いや、違う。殴られたのは、確かに人であった。彼
らの合間にすかさず入りこんだらしい第三者。
「…………っ」
 よろめきながらも、どうにか地に足をつけたまま均衡をとる彼。ぼうぜんとした様子で
立ちつくす、彼を見すえる人々。殴りかかった相手も、はっとしたように、彼のほうへ目
を見張っていた。
「レキセイっ!」
 そのとき、彼、レキセイを追いかけるように走ってくるリーナ。彼女は、その場に来る
やいなや、レキセイのもとへと駆け寄る。
 殴られた箇所を押さえながら、やっとのことで立っているといったふうなレキセイ。そ
んな彼を見かねたのか、リーナの顔には、どこへ向けられているでもない憎悪が広がって
ゆく。
 不意に、彼女の肩に手が置かれる。
「大丈夫だ、リーナ。これくらい、痛くなんてない。どうやら、力が入りきってなかった
ようだ」
 リーナの肩に手を置いたまま、やっとのことで言葉をつむぎ出しているといった様子で
告げるレキセイ。それは、まるで、痛くなかったことそのものが苦痛であるかのような。
「いったん支部のほうへ戻ろう。……俺に、考えがあるんだ」
 そして、リーナにだけ聞こえるような声で、それでいて気迫のある口調で持ちかける彼。
彼女は、先ほどの表情とは打って変わって、きょとんとした様子で彼を見すえる。
 やがて、ふたりは、群集からすり抜けるようにして、目的地へと歩きだす。
 残された彼らは立ちつくしたまま、去ってゆくふたりの背をただ見送っていた。
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