+. Page 016 | とある少女の過去 .+
 翌日。郊外にある館と周囲の景色は、相変わらずの様相を呈していた。
 館の内部では、かの少年も、相変わらず長いすを背にして座っていた。姿勢もそのまま
で、あれから微動だにしていないといわれても、疑う余地もないほどだった。変わったと
ころといえば、辺りが少し散らかったといったところか。
「おーい、レキセイ」
 台所のほうから不意に聞こえてくる、青年の軽快な呼び声も昨日と同じものだった。そ
れに応じて、昨日と同じように、ゆったりとした動作で立ちあがる少年、レキセイ。
「今日も買い物をたのむよ」
 そして、なぜだか用件までも昨日と同じことだった。
「……なにか足りなかった?」
 レキセイは、相変わらず一歩遅れた調子で受け答えた。
「そうじゃないんだけどね。たまには、レキセイも、自分の買い物とかしてきたらいいん
じゃないかと思ってさ」
 にこやかな調子で提案する青年、ラフォル。
 レキセイは、なにやら釈然としないといった様子ながらもうなずくと、玄関へと向かっ
ていった。

 少年は、夕焼けに包まれた町を歩く。どこへ行くでもなく、ゆらゆらと漂っているだけ
のようだ。それも、道なりにいくことはおろか、壁にぶつかろうとも、特に気にした様子
もなく、引き返しては進んでいくことを繰り返していた。
 そのとき、はたと立ちどまる少年、レキセイ。そして、彼の後ろで、もうひとり分の、
立ちどまる音。
 レキセイは、ゆったりとした動作で後ろへ振り向く。そこにいたのは、昨日も見かけた、
夕焼けに溶けこんでしまいそうな薄紅色の髪に、やや小柄な少女。服装も全く同じ、白を
基調としたものだ。そのせいか、薄汚れているのが分かる。
 ふたりは、視線を交し合うかたちとなる。両者のあいだは、目を凝らすことで相手の特
徴をとらえられるほどの距離。
 レキセイは、なんのかげりもない瞳で、ただ少女を見つめる。彼女も、そんな彼を、な
んの感情を持つでもなく、ただ見つめていた。
 どれくらいそうしていただろう。つかの間とも永遠ともつかない時間。ふたりをとりま
くのは、ベールのように柔らかな空気。そして、合間を漂うのは、奇妙な安らぎ。
 少女はというと、無表情ながらも、あでやかさをたたえていた。まるで人形であるかの
ように。
「……ええと、もしかして、迷子?」
 静寂を破るように、先に口をひらいたのはレキセイのほうだった。
「え、うん。そう、なるのかな」
 そして、彼女のほうも口をひらき、戸惑いながらも明りょうな声で言った。
「……それじゃ、一緒に町のなかを歩いていこう」
 レキセイがそう提案すると、少女は小首をかしげる。彼は、彼女のそんな様子を目にし、
「そうしたら、きみの家もすぐに見つかると思って」
 土地勘のあることを示唆し、そこまで送っていくという旨を伝えた。
「あの、わたし、この町に住んでるんじゃなくって……」
 彼女のほうも、そのことは解したらしく、彼の言葉に応じる。
「じゃあ、都のほう?」
 さらに、彼が問いかける。しかし、彼女のほうは、今度は黙ったままであった。
「…………い、の」
 口をひらいたかと思えば、今度は聞きとりにくいような声であった。
「…………え?」
「分からないの……。おぼえてないから……なにも……」
 時は再びとまる。夕空は鮮やかなほどに赤いというのに、大気は冷ややかだった。
 少女も再び口を閉ざし、顔から表情が消えた。遺跡のように、ただたたずんでいるだけ
で。
「――――っ、行こう……!」
 そんななか、なんの前触れもなく、彼女の手をつかんで促すレキセイ。
「……え、どこに?」
「俺が町外れで、安全な家が住んでるんだ」
 そして、本当になにもないといった様子の彼女に、どうにか応じようとして、支離滅裂
な言葉になってしまったらしいレキセイ。この町のはずれにある家に住んでいることを説
明し、そこにいるほうが安全だということを伝えたかったようだ。
「う、うん……」
 どうやら、そのことも即解したようだ。
 そして、おずおずとしながらも、合意の返事をする彼女。
 レキセイは、器用だといえる手つきで、彼女の手を引きながら歩きだしていく。彼女も、
彼に引き連れられるままに歩きだした。

 町外れにある、森や草花に囲まれた一軒家。そして、そこへの帰路につく少年、レキセ
イ。いつもの夕刻の風景。ただ、今までと違うのは、彼よりやや年下の少女を引き連れて
いること。
 レキセイは、その館の前に到着すると、扉を開けるやいなや、
「ラフォル」
 帰った後の儀式を失念し、即座に家主の名を呼ぶ。
「やあ、おかえりレキセイ。ほしいものは手に入ったかい?」
「ええと、この子のことなんだけど……」
 ラフォルの問いかけに応じるよりもまず、視線を横にやり、その先にいる少女のことを
切りだすレキセイ。
「んー? ……って、ええ?!」
 レキセイの視線の先をたどるラフォル。そして、彼女の存在を認識するなり、驚きとい
うよりも、妙に高い声を発する。
「ええと、家が迷子みたいで、町を歩きながらおぼえてないみたいで……」
 と、支離滅裂な説明をするレキセイ。
 ラフォルは、そんな彼の両肩を軽く叩く。
「よくやった、レキセイ」
 そして、なぜか彼を称賛しだすラフォル。レキセイは、目をぱちくりとさせながら、彼
をのぞき見る。
「いやあ、レキセイももうそういう年ごろかあ。うーん、おにいさんちょっとさみしいけ
ど、頑張るんだよ。ああ、でも、食事や語らい以上のことはまだ待って。時期というもの
があるからね」
 ラフォルは、ぽかんとしているふたりの様子を気にかけることなく、軽やかな身ぶり手
ぶりを交えながら、べらべらとしゃべりだす。
「あの……、わたし……」
 と、先ほどから口を閉ざしていた少女が、言葉をなくしたというより戸惑っている様子
で切りだした。
「ああ、失礼」
 ラフォルは、彼女の目線に合わせてひざをつくと、
「ようこそ、小さなレディ。今から夕食なんだ。どうでしょう。わたくしどもとご一緒し
ませんか?」
 そう言いながら、彼女に向かっててのひらを差し出す。そして、ぽかんとした表情でラ
フォルの顔をうかがう彼女。ラフォルの表情はというと、ふざけているというふうではな
いが、真剣でもなく、ただにこやかであった。
 彼女は、ラフォルを、しばらくおずおずのぞいて見ていた。ラフォルは、差し出した手
を引く様子はなく、表情もにこやかなままだった。
 やがて、彼女は、自身の手を、彼に向かっておそるおそる差し出す。すると、ラフォル
も、差し出された手を握り返した。
「それじゃ、夕食は僕が腕によりをかけて作るから、ふたりとも、居間のほうで待ってて
よ」
 かく言うやいなや、ラフォルは、彼女の手を握ったまま立ち上がると、そのまま家のな
かへ入っていく。彼女も、彼に引かれるままに続いていく。レキセイも、彼らに倣うよう
にして、その場を後にした。

 家主が、夕食のしたくを終えた頃。彼とその住人、そして客人が、食卓へと集う。
 彼、ラフォルの作った食事はというと、見慣れぬ者が見ると、毒物をのようであると言
われるほどであった。住人である少年、レキセイは、特になんの感慨もなく、それらをた
だ眺めていた。
 一方、客人である彼女も、特になんの感慨もなさそうだった。それどころか、一生懸命
ともいえる様子で、食事を口に運んでいた。
「ふむふむ。昨日気づいたら町にいて、それ以前の記憶がない、か。それで、なんとなく
レキセイの姿を追っていたら、当人に気づかれたうえ、強引に連れこまれたってところだ
ね」
 ラフォルは、内容の割りにはどことなくほうけた面持ちで、ほおづえをつきながら、流
ちょうに語る。
「え、ええと……」
 困惑の声をあげるレキセイ。
「え、はい。そんなところです」
 彼女はというと、食事をしていた手をいったんとめ、なんともないといった様子で肯定
していた。
「そっかそっか。ああ、続けて」
 青年がにっこりとした面持ちでそう言うと、彼女は再び食事に手をつけだした。
「ええと、なんか違うような……」
 さらに、先ほどと同じ調子で言葉を返すレキセイ。
「うわっははははは……!」
 そんななか、突如として笑い声を発するラフォル。
「き、君たち……いいね。お互い、なにげなく姿を追っていたうえに、今、初めて会った
とは思えないくらい自然に会話できてるんだから」
 そして、笑いすぎて出た涙を指でぬぐうと、先ほどのように流ちょうに語りなおす。
「やっぱり運命だね。うんうん」
「……運命……ですか」
「そうそう、今になってようやくめぐってきたってところだね。ああ、それから、敬語は
使わなくて構わないから。ここに集まった時点で、立場なんて関係ないさ」
 しんみり聞きかえす彼女とは裏腹に、先ほどより明るい調子で次々としゃべるラフォル。
彼女は、横にいるレキセイのいるほうへと視線をやる。
「大丈夫、ラフォルだから」
 レキセイのほうも、視線を彼女のほうへとやり、答えになっているような、なっていな
いような返事をする。
「うん、分かった」
 彼女は、即座に納得したようであった。
「ええと、なんか違……わなくもないか」
 当のラフォルは、あごに手を当てるしぐさをとりながら言った。
 こうして、客人を交えた宴は、刻々と過ぎていった。

 晩餐を終えると、後片付けに入る。そこには、流し台で食器を洗っている、家主である
青年、ラフォルの姿があった。その隣では、客人である少女が、なにかを言いたげであり
ながらもためらっている様子で彼を見あげている。
「もしかして、やってくれるのかい?」
 その瞬間、彼女のほうを向き、微笑を浮かべながら言うラフォル。すると、おずおずと
した様子でうなずく彼女。
「ええと、洗剤とスポンジの使い方は……って、言わなくても大丈夫そうだね。ああ、そ
れから、洗い終わったものはこっちにまとめておいて」
 ラフォルは、ひととおり説明し終わると、両手についた水滴を、自身の服でぬぐい、
「それじゃあたのんだよ」
 そう言いながら、彼女の背を軽く押す。流し台のある位置についた彼女は、先ほどのラ
フォルと同じ手つきで、食器を洗いはじめた。
 ラフォル、食卓のいすに座り、ほおづえをつきながら、にこやかな表情で、彼女を眺め
はじめた。
「ラ、ラフォル……」
 背後から声が聞こえてくると、ラフォルは、席に着いたままそちらを向く。
 そこにいたのは、居間の掃除をしていたらしい、同居人の少年、レキセイ。
 ラフォルは、いすから立ちあがると、
「やってくれるって言ってるんだから、素直にたのんでおくさ。心配なら、レキセイも、
彼女と一緒にやってくればいい」
 おどけているのか否か分からない笑みで提案する。レキセイは、納得したともしていな
いともとれる様子でうなずいた。
「それじゃ、決まりだね」
 と言うやいなや、ラフォルは、どことなく満足そうに、レキセイの手を半ば強引に引き、
彼女のいるほうへと向かう。
「おーい」
 ラフォルが呼び声をあげると、流し台で食器を洗っていた少女は、それを手にしたまま、
彼のほうを向く。
「レキセイも一緒にやりたいってさ」
 そして、レキセイの両肩を背後から持ち、彼女のほうへと押すようにしながら、どこと
なく妙な言いまわしで告げた。
「一緒? そうなの?」
 彼女はというと、ラフォルかレキセイ、どちらに聞いているともつかない様子で、ただ
きょとんとしていた。
「えっと……、うん。一緒にやりたい、かな」
 レキセイは、確かめるような調子で肯定する。
「それじゃあ、一緒にしよ」
 彼女はそう言い、にっこりと小さく笑う。すると、レキセイは、ゆったりとした動作で
うなずく。ラフォルは、ふたりが流し台のある位置についたことを確認すると、すっと消
えゆくように、食卓にあるいすのほうへ戻っていった。
 食器を片付けているふたりの様子はというと、客人である少女のほうがてきぱきとして
いるのに対し、住人であるレキセイのほうがどことなくぎこちない動作であった。彼は、
けして不器用ではない。むしろ、動きそのものの滑らかさは、手際のよさを思わせるのだ
が。食器を洗うだけだというのに、はでな水音をたて、さらには手を滑らせて皿を割って
しまっていたのだ。そんな彼の様子に、彼女は、特に慌てているといったふうでもなく、
近くに置かれていたガムテープを手に取る。そして、両者は、散らばった破片を処理しだ
した。
 ラフォルは、彼らに手出しや口出しをするでもなく、相変わらずほおづえをつき、柔和
な笑みを浮かべながら、ただ眺めていた。
 やがて、一進一退を繰り返しながらもどうにか片付け終わると、
「やあ。お疲れ、おふたりさん」
 ラフォルは、レキセイとリーナのほうへと赴き、両手をそれぞれの頭の上に乗せる。
「ああ、そうだ。君の部屋、レキセイの向かい側のほうね」
 そして、唐突に、彼女のほうを向き、それだけ告げる。
「それから、トイレはあっちで、浴室はそっちね。鍵は、分かりにくいけど、指でつまむ
ほどの大きさで、取っ手の横のほうに付いてるから」
 さらに、次々と抽象的な説明を加えていく。当の彼女は、一瞬小首をかしげた後、特に
疑問をぶつけるでもなく、こくりとうなずいた。
「それじゃ、そういうわけで、よろしくう」
 そう締めくくると、晴れ晴れしいほどのさわやかな笑顔で去っていった。ぼんやりとし
たまま立ちつくしているふたりを残して。

 一日を終え、世界が眠りに就こうとしている頃。とある館の玄関には、家主である青年、
ラフォルが立っていた。
「……出掛けるの?」
 ラフォルの向かい側には、年端もいかない男女が横に並んでいた。声をあげたのは少年、
レキセイのほうだ。
「うん、カノンの仕事場にね。やつだって一応レディだからね。家まで送り届けてくるよ。
君たちは、部屋で寝てるんだよ」
 と、にこやかな表情でひととおり説明すると、ふたりに背を向け、扉のほうへと向かう
と、それをひらくラフォル。
「う、うん、それじゃ……行ってらっしゃい」
「また明日ね、おふたりさん」
 ラフォルは、レキセイの戸惑いがちな声で見送られると、いったん振り返ってみせた。
そして、幼子たちに向けるような笑みで言うと、夜に吸いこまれるようにして、外の世界
へと歩みを進めていった。
 残されたふたりは、ぼんやりとした様子で、扉のほうを眺めていた。しばらくそうして
いた後、レキセイが、少女に話を切りだす。
「あ、ええと、部屋はこっち」
 少女の手を引き、階段のほうへと向かうレキセイ。彼女は、彼に引き連れられるままに
歩きだす。
 個室の並ぶ場所に到着すると、ふたりはそれぞれの部屋の前へと立つ。そして、なかへ
入る体勢で、互いに就寝の儀式を行う。
「それじゃ、えっと、おやすみ」
「うん、おやすみなさい」
 レキセイのほうが先に口をひらき、少女のほうもそうあいさつを交わした。
 そして、少女は、部屋のなかへと入っていく。レキセイは、それを見届けると、自身も
その向かい側の部屋へと入っていった。
 自身の部屋に入ったレキセイは、ゆったりとした動作で、寝台にかぶせてある布団を持
ちあげる。そして、転んでしまいそうなほど危うい動作で、ベッドのうえに横たわる。こ
うして、寝る体勢につくと、まるで死へいざなわれるかのように、まぶたを下ろしていっ
た。
 一方、向かい側の部屋にいる少女はというと、寝る準備をする様子がない。それどころ
か、寝台にかぶせてある布団を、素早く、しかも音をたてずにたたみだした。そして、な
にかをさがしているのか、各たんすの引出を次々とあけていっている。やがて、ぴたりと
手をとめたかと思いきや、目線を下げ、たんすのなかのほうへと向ける。その先には、携
帯用の電灯があった。迷うことなくそれを手にすると、先ほどたたんだ布団も一緒に携え、
扉のほうへと向かっていく。
 辺りも寝静まった頃、廊下には、数あるシャンデリアの光がほのかに揺らめいているだ
けだった。
 そんななか、立ち並んでいる部屋の一室が、音をたてずにあけられる。そこから顔を出
した者は、年端もいかない少女。彼女は、くるまれた布団を抱え、携帯用の電灯を手にし
ていた。そして、扉を閉めることなく、忍び足で階段を下りていった。
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