+. Page 010 | セイルファーデ編 .+
 日が沈み、外が薄暗くなった時刻のこと。
 空は、どことなく鮮やかで、涼しげな灰色。その下に広がっている、数々の建物。際立
ったはでやかさはないが、しっかりと塗り固められている。それに加え、窓明かりが、外
の景色を引きたてているようであった。
 そこには、一日の終わりの、後片付けに勤しむ人々の姿。こだまのように響く歓声。
「わあ、町だあ」
 そんななか、隅のほうで、ひときわ大きな感嘆の声をあげる少女。そして、軽やかな足
どりでくるくると回っている。彼女の傍らには、旅用の荷物を背負った、少年と青年の中
間くらいの彼。
「ひとまず宿屋へ行こう。夕食の注文、まだ受け付けてるといいな」
 彼、レキセイが提案すると、少女、リーナは、かわるがわる片足で軽く跳びながらそち
らに向かう。
 リーナが、足をとめて振り向き、
「あっ、あと、洗濯もお願いして、お風呂に入らなきゃ」
「お風呂と洗濯は、一日くらいしなくても大丈夫」
「もう、女性にとっては大問題よ。それに、今日をのがしたら、今度はいつ宿で寝られる
か分からないんでしょ」
 そんなやり取りを交わしながら、彼らもこの町並みへと溶けこんでいく。

 町なかの飲食店には、地元で仕事を終えた者たちや、旅をしていて流れてきた者たちが
集う。客層は、青年から中年の男性たちで占めている。彼らは、食事や酒盛りをしながら
談笑を交わしていた。
 そんななか、新たに入ってくるふたりの客。成人する手前ほどの年ごろの男女であるよ
うだ。
「えっと、席は……あっ、カウンターのほうに、ふたつあいてるのがあったー」
 と言いながら、小走りでそこに向かう彼女、リーナ。彼、レキセイのほうは、店内の様
子を、どことなくいぶかしげに見わたしている。周囲の客たちは、相変わらず自分たちの
会話に花を咲かせていた。
 そして、レキセイとリーナも席に着く。隣に座っている客は、彼らの姿に気づいていな
いのか、相も変わらず自身のペースで飲んでいる。
「あのさ、リーナ。居心地悪くはないか?」
 不意に、彼のほうが、どことなく優れない顔色で、彼女に向けて口をひらく。
 店内は、料理や酒のにおいに加え、むっとしたものが充満していた。客人たちのがやが
やとした声が、さらにそれをあおりたてているようだ。
「確かに、女性が来るような場所じゃないわね。でも、レキセイもいるからいいんじゃな
いかしら」
 しかし、そんな周囲の様子とは裏腹に、花が咲いたようにぱっと明るい表情で答える彼
女。
「そっか」
 と、レキセイが安どの色を浮かべたところで、話はここで落ち着いた。
「さってと。メニューはどれにしよっかな」
「待った」
「ほえ?」
「俺たちは旅の途中だから、できるだけ安いもののほうがいい。とりあえず、眠るのに支
障が出ないくらいの量でとどめておこう」
「あ、そっか。それじゃあ、これにしよっと」
「うん。俺もそれにする」
 こうして、彼らもこの雰囲気に溶けこんでいく。そして、リーナが片手をあげ、
「おっじさーん! ちっちゃいサイズの親子丼ふたつね」
 その腕を振りながら大声で注文する。
「はいよっ」
 店員と思しき男性が、はっと気づいたようにふたりのほうを向いて応答した後、裏にあ
る厨房へ向かっていった。
「へい、親子丼、小ふたつ。お待ちどうさん」
 やがて、注文したものが運ばれ、ふたりの手前に同時に置かれる。どんぶりには、鳥肉
がふんだんに盛られており、卵が贅沢にあしらわれていた。量も、小では収まりきらない
ほどである。
「えーと、満月のような花畑のような……」
「わあ、煮汁がたっくさん。それに、おいしさの秘訣はここにあると見たわ」
 レキセイがそれに見入っている傍らで、リーナはそれを食べながら、はしでかきわけて
のぞきこんでいる。
「おふたりは首都のほうから来たのかい?」
 そんななか、先ほどメニューの注文を受けて運んできた店員が、当のふたりに尋ねる。
「あ、はい。そうですが……」
 レキセイは、顔をあげ、彼の顔を見ながら受け答えた。
「そういう反応をするのは、大抵よそから来たお客さんだからな。それに、クロヴィネア
方面の関所は、数日ほど前から通行どめになってるっていうじゃないか」
「……え、通行どめですか」
 おうむ返しに尋ねるレキセイ。
 このセイルファーデ地方は、首都を構える地方と、クロヴィネアという地方に隣接して
おり、それぞれの区間の関所がある。
「ほかの客がぼやいてたのが聞こえてきただけだから、確かなことは分からんがな」
「そう……ですか」
「若いもんがふたりで歩いてここまで来たってことは、なにか事情があるんだろうが……、
まあ、せっかくだ。都の見物でもしながらゆっくりしていったらどうだ」
「あ、はい。実は俺たち、生き別れた両親を探してるんです」
 そこで、レキセイは、旅の目的を唐突に語りだす。
「俺はレキセイ・シルヴァレンスというのですが、この苗字や名前、もしくは銀色のよう
な髪にこころあたりはありませんか?」
「そうだったのか。んー、聞いたこともねえし、俺にもこころあたりはないな。まあ、こ
んなことくらいしか言えねえが頑張れよ、な」
「えっと、ありがとうございます」
 話が一段落ついたところで、その店員は、ほかの客の注文を受け、再び奥のほうへと向
かっていった。
 そして、再びレキセイとリーナ、ふたりだけの世界が訪れる。
「それにしても、さっきのおじさんの推察力もなかなかだったわね。ちょっとカノンお姉
さまみたいだったわ」
 子どものように目をかがやかせて言うリーナ。
「あのさ、その……、リーナは、両親のことを聞かなくてよかったのか?」
「うーん、これといった特徴もないし、なにも覚えてないことにはさがしようがないから
ね」
 リーナは、あくまで明るい表情のままで答えた。
「コーケコッコー、ピヨピヨピヨー」
 そして、楽しげに歌いながら、どんぶりの中身をかきまぜていた。レキセイは、そんな
彼女を、どこか憂いを帯びた表情で見つめ、
「それにしても、通行どめとなると、らちが明かないな」
 あえてかぶりを振るように話を持ち出す。
「それじゃ、明日になったらそこに行って、話しを聞きにいこっか」
「あ、うん。そうだな」
 やがて、ふたりは、食事を終え、方針を決めたところで、同時に席を立つ。相も変わら
ぬ店内の様子をよそに、勘定を済ませ、その場を後にした。

 この国の地方間に設けられている関所は、豪壮な外観に加え、門も堅ろうである。その
傍らには、左右のふたてに門番が立っている。
 やがて、旅人と思しきふたりがこちらにやってくる。まだ成人する手前ほどの年ごろと
もいえる男女であるようだ。そして、彼らが門前に立つと、
「なんだ、お前たちは」
 軍服に身を包んでいる、門番であると思しき者のうちひとりが、威圧的な口調で問う。
「貴様こそなんだ」
 すると、旅人のうちのひとり、彼のほうが、威圧感どころか邪気すら感じられない口調
と面持ちで応答する。
「んな……、こ、こいつ……!」
「レキセイってば……。貴様っていうのは、相手をののしる意味で使われることが多いっ
て、前にも言ったのに」
「うっ、そうだったか……」
 あくまでのんきな様子で会話をするふたり。
「ええい、俺たちはこの関所の警備担当だ。用がないなら帰れ」
 そんな彼らを見かねたのか、警備の担当者は、振り払うようにして言いつける。
「えっと、俺たちのほうは、徒歩で旅をしてるんですが……、ここを通してはもらえませ
んか」
「だめだ。目を光らせて、ガキひとりたりとも通すなというお達しだからな」
 先ほどから、進展の望めないやりとりを繰り広げる両者。そこで、彼女のほうが奥の手
を使う。
「リーナたち、リベラルの団員なんだけど、それでもだめ?」
 と言いながら、Liberal Support Section という文字が記された身分証明書を、ポケッ
トから取り出して提示する。レキセイも、彼女に続くかたちでそれを見せた。
「リベラルだろうが要人だろうが、例外はない。さっさと帰れ!」
 見かねていたらしいもうひとりのが、激しい剣幕で、ためこんでいたものを爆発さ
せるかのように追いたてる。すると、
「ここは出直そう」
 隣にいるリーナにだけ聞こえるほどの声で、そう持ちかけるレキセイ。
「えー? こんなところで引き返すの?」
「いや、ひとまず、都のほうに向かおうと思う。いずれにしても、そこには行くつもりだ
ったから」
「あ、そっかあ。いざとなれば列車に乗るという手もあるもんね」
 話がまとまると、警備の担当者たちのほうへと向き直ったレキセイは、
「それでは、とりあえず引き返しますから」
 そう告げると、リーナを引っぱっていくかたちで、その場を後にする。
 そして、関所の門前から離れてくると、
「ぶう、やっぱり、軍人って横暴なのが多いのかしら」
「というより、なんだか気が立ってたみたいだったな」
「やっぱりここは、カノンお姉さまからもらった煙幕の出番かしら」
「それはやめておこう。向こうも仕事なんだし、俺たちだって捕まったら旅どころじゃな
くなる」
「むう、そっか……」
 ふたりは、そんなやりとりを交わしながら、行ける範囲内で再び足を運んでいく。

 旅人たちの通る道の周りには、野原が広がっている。そのなかでもひときわひらけた場
所で、野営の準備をしている、かのふたり組みがいた。
「わあい、キャンプだキャンプだ。リーナ、キャンプって初めてなんだよね。多分だけど」
 楽しげにしゃべりながらテントを張る彼女、リーナと、それを見守るようにしながら一
緒に作業をする彼、レキセイ。
 それが完成すると、リーナはなにかを思い出したように、
「あ、暗くなって見えにくくなる前に、絵日記かかなきゃ。また忘れるところだった」
 荷物のなかから、帳面と各色の鉛筆を取り出す。
「それ、持って来てたんだ?」
「うん。その日にあったことは、覚えておいたほうがいいもんね」
 相変わらず楽しげな様子で、野原で寝そべったまま、筆を走らせるリーナ。レキセイは、
そんな彼女を、ただ静かに見つめていた。
「さってとー、晩御飯にしようかな」
 リーナは、かき終えたかと思いきや、帳面と色鉛筆をしまうついでに、携帯用の食料を
取り出して言う。
「たまにはこういうのもいいわね。毎日だと飽きるけど」
「うーん、俺は食べれればなんでもいいな。それでおなかがいっぱいになれば幸せ」
「安い幸せねえ。もっとぱあっといかなきゃ」
 やがて、食事を終えた彼らは、ごみをまとめ、それをかばんのなかへと戻す。
「そういえば、こういうところで寝るときって、見張りとかしたほうがいいのかしら」
「いや、ここは安全みたいだから大丈夫だろう。もしだれかが迫ってきてたら分かるし、
俺はすぐに起きられるから」
「そうなんだ。それじゃあ安心ね」
 夜がふけてきた頃、ふたりはテントのなかに入っていた。そこは、肌寒いのに加え、電
灯のかすかな光しかない。まるで、世界から切りとられたような場所。
 レキセイの顔は、うっすらとした明かりに照らされ、どことなく青みを帯びている。そ
れはなにも、辺りが暗いせいだけではないようだ。一方のリーナは、なんともないといっ
た面持ちで、ふたり分の寝袋を用意している。
「はい、これレキセイの分ね」
 にっこりと、そのうちのひとつを、彼のほうへ差し出すリーナ。
「あ、うん。ありがとう」
 それを受け取るレキセイの表情からは、先ほどの青みがかった色は既に消えているよう
だ。
「わあ、みのむしさんみたい」
 と、寝袋を装着したリーナは、寝転んだ状態で、身体をばねのように跳ねさせている。
「これも、たまになら悪くないけど、毎日は遠慮したいわね。それに、なんだか上品さに
欠けるもの」
「ええと、俺は、からだを壊さないほどの着衣があればそれでいいな」
「もう。レキセイには、美的感覚ってものがないの?」
「きれいな服も、作り手の努力という意味ではすごいと思うけど……。素っ裸でも、法に
触れなかったとしたら、それでいいぐらいだから」
「うわあ、この変態」
「いや、だって、からだの造りなんて、みんなそう変わったものでもないし」
 かみあっているのやらいないのやら、そんな会話をひとしきり交わした後、
「それじゃ、おやすみ、リーナ」
「うん、レキセイ、おやすみー」
 と言うやいなや寝入るリーナ。続いてレキセイも横たわって目を閉じる。
 しかし、レキセイは、しばらく経っても寝つけないようで、
「……地面だと硬いな。ずっと前なら、そんなこと思わなかったはずなんだけど」
 と、耳を澄ましていないと聞こえないほどの声でつぶやいていた。
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